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中華民族の多元一体構造

中華民族の多元一体構造

多民族国家=中国はどのようにして一体となりうるのか、を歴史・民族・考古等の観点から論究、現代中国の民族論・民族政策の原典

著者 費 孝通 編著
西澤 治彦
塚田 誠之
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2008/06/18
ISBN 9784894891180
判型・ページ数 A5・384ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

前書き

中華民族の多元一体構造  費孝通(西澤治彦訳)

 一 中華民族の生存空間
 二 多元の起源
 三 新石器文化の多元の融合と集合
 四 核心への集結と漢族の出現
 五 地域的な多元の統一
 六 中原地域の民族の大雑居、大融合
 七 北方民族による漢族への、新たな血液の絶え間ない流入
 八 漢族同様に、他の民族も異民族を同化
 九 漢族の南方への拡大
 一〇 中国西部の民族の流動
 一一 中華民族の構造形成におけるいくつかの特徴
 一二 未来への展望

中華民族の共同性を論ずる  谷 苞(曽士才訳)

 一 中華民族という共通の民族名
 二 中華民族の共同性の形成と発展
 三 歴史から見た各民族の特徴、長所と中華民族の共同性との関係
 四 社会主義時期における各民族の特徴、長所と中華民族の共同性

中華民族の共同性を再び論ずる  谷 苞(曽士才訳)

 一 神話に登場する漢族先民と少数民族先民
 二 漢族と少数民族とに共有された祖先
 三 大一統がわが国の歴史の主流
 四 大一統の思想は中国各族人民の共通の伝統

中国・華夷・蕃漢・中華・中華民族
   ――一つの内在的関係が発展して認識される過程  陳連開(塚田誠之訳)

 一 「中国」の名称の起源
 二 春秋戦国時代における「中国」と「華夷」の含意
 三 秦代以後における「中国」の含意の発展・変遷と確立
 四 「漢人」と「蕃漢」の対置の意味とその範囲
 五 「中華」と「中華民族」の含意の変遷と発展

中華新石器文化の多元的な地域発展およびその凝集と拡散  陳連開(吉開将人訳)

 一 中華太古の人類とその文化は中華文化が中華の大地に起源することを証明した
 二 黄河中下流域の東西二つの文化区およびその交流・融合と凝集
 三 長江中下流域の東西二つの文化区およびその交流・融合と凝集
 四 燕遼文化区および黄河上流文化区
 五 陽湖──珠江三角洲を中心とする華南文化区
 六 北方の遊牧・漁撈文化区
 七 南北における農耕・狩猟文化の三つの地帯の並行発展

「漢人」をめぐる考察  賈敬顔(菊池秀明訳)

 一 「漢人」という呼称の起源
 二 「漢人」という民族呼称の形成
 三 「漢人」の範囲拡大と「漢族」という呼称の出現
 四 「漢人」という呼称の広がり

「契丹」──漢人の別名  賈敬顔(西澤治彦訳)

歴史における少数民族内の漢族的要素  賈敬顔(菊池秀明訳)

 一 少数民族の勃興は往々にして漢族の援助を得ている
 二 西北の諸民族に入って同化した漢人たち
 三 西南、東南の諸民族に入って同化した漢族たち
 四 中南の諸民族に入って同化した漢人たち
 五 漢人には時に隣国へ入って同化した者もいた
 六 民族間の相互同化は発展を促す要素である

古代匈奴の遊牧社会の歴史的な位置付け  谷 苞(吉開将人訳)

 一 匈奴の冒頓単于がわが国北方の遊牧地域を統一したのは、
    中国史において意義をもつ大きな出来事であった
 二 長城の内と外における広大な農耕地域および遊牧地域の形成
 三 古代匈奴の遊牧社会の歴史的な位置付けを正しく明らかにすべきである
 四 遊牧社会の歴史研究は、農耕社会の歴史研究と密接に連携させるべきである
 五 本論文の結論

前漢王朝による河西四郡設置の歴史的意義  谷 苞(吉開将人訳)

 一 〔河西四郡の設置過程〕
 二 〔河西四郡の設置と西域諸国との歴史的関係〕
 三 〔河西四郡の設置とシルクロードの発展〕
 四 〔河西四郡における経済的、文化的発展〕
 五 〔河西四郡設置の歴史的意義〕

エスニシティの探究――中国の民族に関する私の研究と見解  費孝通(塚田誠之訳)

解題──費孝通の「中華民族の多元一体構造」をめぐって  西澤治彦

 はじめに
 中国考古学界の動向
 多元一体構造論の形成
 「中華民族多元一体構造」論の波紋とさまざまな批判
 「中華民族多元一体構造」論に対する評価
 今後、展開されるべき問題点
 結びにかえて

あとがき

索引・地図

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内容説明

多民族国家=中国はどのようにして一体となりうるのか。この命題を歴史・民族・考古等の観点から論究、現代中国の民族論・民族政策の原典となった書を気鋭の専家により完全翻訳、また、費孝通の「エスニシティの探究:中国の民族に関する私の研究と見解」を付す。訳注・解題・参考地図付き。


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前書き

本書は、費孝通等著『中華民族多元一体格局』(中央民族学院出版社 一九八九年)の全訳である。巻頭に収められている費孝通の論文「中華民族多元一体格局」が最初に公表されたのは、一九八八年一一月に香港中文大学で行われた講演の場であった。そして翌一九八九年に、『中華民族多元一体格局』と題し、単行本として出版された。


この論文が書かれるに至った背景や、中国内外における評価などについては巻末の解題に譲るが、論文が公表されて以来、中国においても考古学・民族学・人類学・歴史学・政治学など、各分野から注目を集めることとなり、今日に至るまでさまざまな波紋を投げかけている。さらには、社会科学界に留まらず、「中華民族論」の新たなナショナリズムとも連動し、近年では中国における民族政策のバックボーン的な位置を占めるなど、社会的・政治的な影響すら及ぼしている。
ところで日本においては、その重要性や社会的な影響力にもかかわらず、本書はこれまで邦訳されることがなかった。公表から二〇年近くの時を経ているものの、本書の重要性は増大することはあっても、減少することはないと考え、ここに邦訳することとした。


なお、ここで邦訳のテキストについて触れておきたい。我々が底本とした原著には、費孝通の「中華民族多元一体格局」を巻頭論文として、九本の論文が収められている。その領域は考古学・民族学・歴史学にわたるが、いずれもそれぞれの立場から費孝通の議論を援護するような趣旨の論文となっている。といっても、これらの多くは費孝通が「中華民族多元一体格局」を執筆する以前に、学術雑誌において発表されてきたものであり、時間的にはむしろ費孝通の方がこれらの論文から刺激を得ているのであるが、こうして一冊に収録すると、一つの大きな学問的な流れとして、費孝通の議論を支える豊かな水流となっていることが理解できる。その意味でも、こうした関連論文をあわせて読む意義は大きい。


ところでこの原著は、出版から一〇年後の一九九九年に、費孝通主編『中華民族多元一体格局(修訂本)』と題して、増補改訂版が中央民族大学出版社から刊行された。本来なら、邦訳は修訂本の方を底本とすべきであるが、熟慮の末、初版本を底本とした。最大の理由は、修訂本は初版本と比べ、単に誤植や表記を改めただけにとどまらず、各論文を新しい構成のもとに大胆に組み替え、それにあわせて大量に加筆もされており、初版の執筆者名を明記した論文集という形式とは全く異なる本になっているからである。こうした理由に加え、邦訳出版に際しての紙面の制約もあり、原著者や出版社の了解を得た上で、初版本を底本とすることにした。


但し、費孝通が一九九六年に日本でのシンポジウムに寄稿した「簡述我的民族研究経歴與思考」(修訂本でも「代序」として再録)は、費孝通の議論が生成されていく過程を理解する上でも重要なエッセーであるため、邦訳本でも「エスニシティの探究」と題して、巻末に収録することとした。


邦訳に際しては、各人が初版本と修訂本の両方を入手し、初版の誤植の訂正などを確認しながら作業を進めた。また、修訂本になって新たに各節の小見出しがつけられたものもあり、読者の便を考えて修訂本の小見出しを流用することとした。原著自体が複数の著者による論文集であるため、強いて訳文の文体の統一は行わなかったが、同じ著者はなるべく同じ訳者が担当するようにした。 (訳者一同)

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原著者紹介
費孝通
1910年、江蘇省生まれ。
1933年、燕京大学卒業後、清華大学大学院に進学。1936年、ロンドン大学に留学し、マリノフスキーに師事。帰国後、雲南大学、清華大学、中央民族学院等で教鞭をとるが、文革で迫害を受ける。改革以降、中国社会学学会会長に就任し、社会学・人類学の再建に尽力する。中国社会科学院社会学研究所所長、北京大学社会学研究所所長などを歴任したほか、全国人民代表大会常務委員会副委員長(第7・8回)、中国人民政治協商会議全国委員会副主席(第6回)を務めた。
主要著書は学位論文であるPeasant Life in China(中国語訳は『江村経済』)や『郷土中国』『生育制度』を始めとして、民族問題や小城鎮問題、社会学史など多方面において多数あり、それらは『費孝通社会学文集』『費孝通民族研究文集』『費孝通文集』などの複数の文集に編纂されている。2005年、没。

谷 苞
1916年、甘粛省生まれ(祖籍は湖南省)。
1935年、清華大学に入学。盧溝橋事件後、雲南に疎開し、復学。人類学者陶雲逵の指導を受け、1941年、西南連合大学(清華大学)社会学系卒業。その後、費孝通が当時雲南で主催していた燕京大学・雲南大学共同の社会学研究室に参加し、費孝通の指導を受ける。国共内戦を経て、1949年人民解放軍の新疆進駐に参加、以後、中共中央新疆分局研究室および新疆自治区党委員会研究室に勤務。この間、新疆各地で社会・民族調査に従事。1957年、中国科学院新疆分院歴史研究室(1960年、民族研究所に)主任。1981年、新疆社会科学院院長。
主要編著書に『古代新疆的音楽舞蹈与古代社会』『林則徐在新疆』『民族研究文選』などの専著のほか、『新疆民間文学』『西北通史』『新疆歴史人物』などの編著がある。1983年、退休。

賈敬顔
1924年、河北省生まれ。
1949年、中法大学(北京)文史系卒。中国科学院考古研究所助手を経て、1952年、中央民族学院へ移り、1956年、歴史系の講師、副教授、教授を努めた。専攻は歴史文献学、蒙古史。育てた卒業生の多くが北方民族史、歴史文献学、遼金元史などの分野において活躍し、民族間関係などの歴史上の諸問題を解決してきたことから、「雑家」(諸研究の開祖の意)との賞賛を受けている。
主要編著書は、『民族歴史文化萃要』『東北古代民族古代地理叢考』『五代宋金元人辺疆行記十三種疏証稿』などの専著のほか、『中国歴史地図集・東北巻』『中華民族・蒙古族』『契丹国志』『漢訳蒙古黄金史』などの共編・訳注がある。1990年、没。

陳連開
1933年、湖南省生まれ。
1954年、湖南省第一師範を卒業し、中南民族学院(2002年に中南民族大学に改名)にて教鞭をとる。1956~61年、中央民族学院に学ぶ。その間、少数民族社会歴史調査に参加し、青海省にて調査を行う。卒業後、中央民族学院の歴史系で教鞭をとる。文革中は広西へ赴くも北京に戻るが、1975年に批判される。文革終了後は名誉回復され、1976年より中央民族学院(1994年に中国民族大学に改名)の歴史系にて、副教授、教授を努める。中国民族史学会および漢民族研究会副会長。
主要編著作は『我国少数民族対祖国歴史的貢献』『中国百科全書・民族巻』『中国歴史地図集・東北巻』『中華民族研究初探』『中国民族史綱要』など多数。

訳者紹介
西澤治彦(にしざわ はるひこ)
1954年、広島県生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。
現在、武蔵大学教授。
共訳書に『東南中国の宗族組織』(弘文堂、1991年)、共編著に『アジア読本・中国』(河出書房新社、1995年)、『大地は生きている:中国風水の思想と実践』(てらいんく、2000年)、『中国文化人類学リーディングス』(風響社、2006年)、著書に『中国映画の文化人類学』(風響社、1999年)など。

塚田誠之(つかだ しげゆき)
1952年、北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
現在、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授。
著書に『壮族社会史研究:明清時代を中心として』(国立民族学博物館、2000年)、『壮族文化史研究:明代以降を中心として』(第一書房、2000年)など。

曽 士才(そう しさい)
1953年、兵庫県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、法政大学教授。
共編著書に『アジア読本・中国』(河出書房新社、1995年)、『大地は生きている:中国風水の思想と実践』(てらいんく、2000年)、『世界の先住民族:ファースト・ピープルズの現在 01東アジア』(明石書店、2005年)など。

菊池秀明(きくち ひであき)
1961年、神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
中部大学国際関係学部講師、同助教授を経て、現在、国際基督教大学教授。
著書に『広西移民社会と太平天国』【本文編】【史料編】(風響社、1998年)、『太平天国にみる異文化受容』(山川出版社、2003年)、『ラストエンペラーと近代中国』中国の歴史10(講談社、2005年)など。

吉開将人(よしかい まさと)
1967年、愛知県生まれ。東京大学大学院博士課程中途退学。博士(文学)。
東京大学東洋文化研究所助手を経て、現在、北海道大学文学研究科准教授。
論文に、「近代中国と東亜考古学」『岩波講座「帝国」日本の学知』3(岩波書店、2006年)、「歴史学者と“南支那”」『昭和・アジア主義の実像』(ミネルヴァ書房、2007年)など。

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