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ヒンドゥー女神の帰依者ヒジュラ

宗教・ジェンダー境界域の人類学

ヒンドゥー女神の帰依者ヒジュラ
著者 國弘 暁子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2009/02/28
ISBN 9784894891333
判型・ページ数 A5・260ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

第一章 序論──ヒジュラとは
 一 本書の目的
 二 ヒジュラの研究動向、および本書の位置づけ
 三 ヒジュラの民俗名称と呼称

第二章 グジャラートの地理と歴史、そして女神寺院
 はじめに
 一 グジャラートの概観と調査地
 二 カーストと宗教の境界区分
 三 バフチャラー女神の神話と女神寺院の歴史

第三章 バフチャラー女神信仰の世界
 はじめに
 一 ヒジュラと参詣者との遭遇
 二 ヒジュラと参詣者との交渉
 三 天界に至る贈与とヒジュラの役割
 おわりに

第四章 ヒジュラの現世放棄
 はじめに
 一 バフチャラー女神と去勢儀礼
 二 具現化された先祖の歴史
 おわりに

第五章 ヒジュラの共同体
 はじめに
 一 共同体内部の組織区分
 二 ヒジュラの師弟関係と共同体
 おわりに

第六章 生活者として築く人間関係
 はじめに
 一 身近な住民との親密関係
 二 他所者との間に成立する「兄弟/姉妹」関係
 三 親族としての「係わり合い」、ヒジュラとしての「係わり合い」
 四 生まれた時からの親族関係
 おわりに

結 語

 あとがき
 付録──バフチャラー女神信仰の起源に係る神話
 参考・引用文献リスト
 要語集
 写真・図表一覧
 索引

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内容説明

男性としての生を放棄し、サリーを身に纏い、ヒンドゥー女神に帰依する現世放棄者ヒジュラ。本書は、「第三のジェンダー」とされてきた彼らの表象を剥がし、むしろ、性やジェンダーの二元論を包括した存在であるとする斬新な論考。
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はじめに
 本書は、インド、グジャラート州のローカルな環境の中で、ヒジュラ(hijra)と呼ばれる人びとが、いかにヒジュラではない人びとと係り合い、また、いかに土着の世界観によってその存立が支えられているかを明らかにし、決して一義的なカテゴリーに収まることのない、ヒジュラとしてのローカルな「あり方」について考察することを目的とする。
 ところで、ヒジュラとはグジャラートの人びとからどのように認識されているのだろうか。グジャラート州の大学院に留学していた頃からお世話になっている、ホームステイ先のシャクさん(女性)に、ヒジュラとはどのような人びとなのかと尋ねてみたことがある。それは、彼女と二人きりで台所に立っていた時のことだった。もし、その場所に男性がいたら、彼女はヒジュラの男性器に言及することはなかったであろう。
 (ヒジュラとは)男でなく、女でなく、このサンサール〔sans?r (S):俗世〕で生きることができず、自分のパリワール〔pariv?r:家族〕をもつことができない。何にもすることができない。誰があの人たちに仕事を与えるというのか(いや、いない)。だから、乞食をしているのだ。あの人たちのインドゥリー〔indr? (S):ペニス〕は小さくて、体の中に入り込んでいる。だから、女性と性交ができない。女性的な性格がでてきて、女性の様相をしている。リンガ〔linga:ペニス〕を紐で結んで儀礼を行い、ガーガロ〔gh?gharo:サリーの下にはくアンダースカート〕をはいている。女神のバクタ〔bhakta (S):帰依者〕となって乞食を行い、人生を全うする。女神の名の下にパイサ〔paisa:貨幣〕を乞い、自分の体を女神に捧げてしまっている。(二〇〇四年二月一日)
 シャクさんの認識によれば、ヒジュラとは、男性・女性というカテゴリーに含まれない存在である。それは、ヒジュラの生殖器には欠陥があり、女性との性交を通じて子供をもうけ、家族をつくることができないという理由からだ。「男でなく、女でなく」、「結婚ができない」、「家族を持つことができない」という婉曲的な表現によって、ヒジュラが生殖に関与しない点に言及する人びとは多い。しかし、ヒジュラの外性器に関する彼らの知識は、根拠のないうわさであることが大半である。
 グジャラートの社会では、男性として生まれた者は、女性との性交を通じて子孫を残し、己の親族を永続させるという義務を負う。そのため、今日においても、男児の誕生が珍重されるわけだが、その義務を背負った男児が、のちにヒジュラになるということは、サンサールの男性に課せられた規範に背くことを意味している。男性としての生活をすべて放棄して、己の親族との縁を切り、ヒジュラのもとに弟子入りする者は、まず、男性の衣装であるズボンとシャツを脱ぎ捨て、グル〔guru:師匠〕から与えられるガーガロとブラウス、サリーの三点を身に纏い、さらに、ペニスと睾丸を切除する去勢儀礼を通過する。そして、同じくサリーを纏う他のヒジュラとの間に紐帯を築き、その仲間によって己の死を看取ってもらう。つまり、ヒジュラとして生きる者たちは、俗的な規範の外で、親族関係にはない他人と共に象徴的な共同体を形成し、その一員として残りの人生を全うするのである。ただし、厳密に言えば、ヒジュラの輩に加わってからも、俗世に生きる兄弟姉妹の結婚式や死の儀礼に参与するなど、俗世の側の出来事に関与することは認められている。よって、ヒジュラだけの世界に閉じ籠って生きるのでは決してない。
 サンサールでの男性としての地位を放棄したヒジュラは、通常の男性や女性とは明らかに異なる外観を呈している。独特のしぐさを見せながら集団で町中を歩き回き、その上、強引な態度でもって乞食をするため、厄介者として人びとから疎まれたり、また、恐れられてもいる。しかし、女神という超自然的な存在が喚起される宗教空間においては、ヒジュラは女神に帰依する者としての地位が与えられ、女神の力にすがろうとする人びとからは、その仲介役を期待されている。宗教空間を離れた後では、ヒジュラとしてというよりは、同じ居住環境に暮す一生活者として周囲の人びとから受入れられ、サンサール〔俗世〕における地縁に支えられた生活を営んでいる。
 このように、ヒジュラというのは、人びとの認識のレベルでは、俗的なジェンダーの規範から逸脱した者としての烙印を押されているが、その一方で、ヒジュラとして生きる個人と直に向かい合う状況では、女神の帰依者として、あるいは、一生活者として、人びとは自らが築いてきた関係の中にヒジュラを組み込んでいく。つまり、「男でなく、女でなく」という否定形で認識されているヒジュラには、直に係り合う場面において、もう一つ別のカテゴリーに包括される可能性が開かれているのである。それは、フランスの人類学者マルク・オジェ(Marc Auge´)の言葉を借りれば、「ある性質ともそれとは正反対の性質とも有意に結びつくことがなく、このふたつのどちらでもないものとしてしか定義しようのない第三の性質と結びつく」と、言い換えることができる[オジェ 二〇〇二:一二六─一二七(強調は筆者による)]。
 ただし、ここで言う「第三の性質」とは、俗的なセックス/ジェンダーの射程にヒジュラを再び取り込んでしまう別のカテゴリー、つまり「第三のジェンダー」とイコールではない。「第三のジェンダー」とは、もう一つ別のジェンダー・カテゴリーを設定することによって、セックス/ジェンダーの次元における逸脱性を顕在化させるが、それに対して「第三の性質」とは、男性と女性というカテゴリーの否定性を示すと同時に、それが別の回路に結びつく可能性を示唆しているのである。つまり、ここでの「第三の性質」とは、否定性と同一性とを同時に合わせ持ったものであり、セックス/ジェンダーの否定性を超越した先に、別の可能性を開示させる多義性とも言い換えられる。ヒジュラが多義的であるとは、相対する他人との交渉を通じて己の主体位置を形成するというコンティンジェンシー(contingency:一時性)と表裏一体であり、外部から一方的に押し付けられる一義的な表象を覆し得る、ヒジュラの戦術とも言えるのである。

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著者紹介
國弘暁子(くにひろ あきこ)
1972年、東京生まれ
2006年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)
現在:お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科研究院・研究員
専攻:文化人類学
主要業績:「ヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域」『ジェンダー研究』8: 31-54(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター、2005年)、『ヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域』(富士ゼロックス小林節太郎記念基金小林フェローシップ2004年度研究助成論文、2006年、『ジェンダー研究』第8号掲載論文の転載)、「異装が意味するもの:インド、グジャラート州におけるヒジュラの衣装と模倣に関する研究」『非文字資料研究の可能性:若手研究者育成成果論文集』(神奈川大学21世紀COEプロブラム研究成果報告書、2008年)

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