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ベトナム黒タイの祖先祭祀

家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌

ベトナム黒タイの祖先祭祀

社会を成形するのに文字文化がどのように関わってきたかを、民族誌データと現地文書を用いて分析。黒タイの系譜文書を縦横に読み解く

著者 樫永 真佐夫
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2009/03/24
ISBN 9784894891388
判型・ページ数 A5・384ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はしがき

1 序章

 1-1 本書の目的と方法論:黒タイの「家霊簿」を手がかりに
 1-2 親族研究と系譜を記した文書研究の関わり
 1-3 黒タイの村落生活
 1-4 調査

2章 黒タイの文字文化における家霊簿

 2-1 黒タイという集団範疇
 2-2 黒タイの文字文化
 2-3 家霊簿の継承
 2-4 まとめ

3章 黒タイ家霊簿の形式と内容に関する分析

 3-1 黒タイ親族研究史における家霊簿研究
 3-2 家霊簿の内容、形式の特徴
 3-3 まとめ

4章 家霊簿の読者と読書

 4-1 村落における姓使用と祖先祭祀
 4-2 ムオン政体と「カム・オアイ家霊簿」の関わり
 4-3 まとめ

5 終章

 5-1 本書の焦点と本書の整理
 5-2 読書行為論の視点から

あとがき
文 献
索引
写真・コラム・図表・資料

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内容説明

ベトナム西北地方の黒タイ社会を例として、ある社会を成形するのに文字文化がどのように関わってきたかを、民族誌データと現地文書を用いて分析。黒タイの系譜文書「家霊簿(ソー・フィー・フオン)」を縦横に読み解く貴重な論考。


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1-1 本書の目的と方法論


中国、朝鮮、琉球、ベトナムなどいわゆる漢字文化圏では、一族の系譜を記した文書が継承されてきた。原則として漢字で記され、譜、族譜、家譜、家牒、家乗、宗譜などさまざまに呼称されてきたこれらを多賀[1955]に倣って本書では「譜」と総称する。譜とは端的に、ある父系親族集団が系譜の確認のために編纂した私的な文書である。したがってこれまでの人類学における譜研究では、各地の父系親族集団の政治経済的活動や祖先祭祀との関わりの中で、譜の記述の形式と内容が分析されてきた。


本書でとりあつかうのは、ベトナム西北部を中心に居住している少数民族、黒タイ(T?y [am, Thaei [en)が継承してきた「家霊簿(xA´ phi h?O´n)」である(黒タイ分布地域についてはp.10[地図1]参照)。家霊簿の継承者たちは系譜を記した文書であるという観念をもっている。その点だけを取り上げると、家霊簿も譜の一つと見なすことができる。実際、家霊簿は一般に「家譜(gia ph?)」とベトナム語訳されている。しかし、家霊簿は漢文ではなく古クメール系の黒タイ文字で記されている点で譜と一線を画している。記述文字が異なれば読者も異なる。家霊簿の内容を人類学的観点から検討し、儀礼との関係を論じたおそらくベトナムで最初の研究書[CA`m v? Kashinaga 2003]でも、「家譜」ではなく「祖先名簿(danh saech tA´ ti’n)」をベトナム語への訳語として用いているが、本書でもxA´ phi h?O´n(ソー・フィー・フオン)を家譜ではなく家霊簿と訳している。譜との相違点と共通点についてこれまで十分に議論されていないからである。本書では、家霊簿がもつ形態、内容、用法の特徴に加え、黒タイがもつ父系理念や祖先祭祀の実践と家霊簿の関わりを記述する。


本書のねらいは、ベトナム西北地方の山間盆地で、水田耕作を主生業として居住するタイ系言語集団の一つ、黒タイの父系理念と系譜認識を、首領一族が中心となって継承してきた家霊簿の分析と村落における儀礼祭祀の実践の分析に基づき考察することである。これまでのベトナムにおける研究では、1954年以前の植民地期まで黒タイ社会は、姓をもつ父系氏族ごとに階層化された封建制度を維持してきたというのが定説であった[M¬c 1997:51-55]。しかしこれは姓、父系理念、姓を同じくする人々の政治経済的、儀礼的諸活動をめぐる現地調査の成果から導かれた結論ではない。「3-1」節で見るように、姓を同じくする人々がどのような機能集団を形成しているのか、現地調査に基づいて分析することで、従来の黒タイ父系氏族論を修正することも本論の目的の一つである。


山がちな東南アジア北部で諸民族が高度別にすみ分けているという指摘は19世紀末の民族誌以来繰り返しなされてきた[cf. Gouin 1887;Abadie 1924;Izikowitz 2001(1951);岩田 1971]。図式化していえば、タイ系諸民族が盆地を拓いて灌漑水稲耕作を行い、扇状地上部や山腹でモン・クメール語系、カダイ語系諸民族が天水による水田耕作や焼き畑耕作を行い、モン・ヤオ語系、チベット・ビルマ語系民族が高地で焼き畑耕作を行う。このような地勢に応じた生業活動と民族分布との対応関係は、ベトナム西北地方では現在でもはっきりと確認できる[福井 1996;樫永 2003a, 2005a]。
しかし、ディエンビエンフー([iY¨n Bi‘n PhU´)が陥落してフランスが撤退し西北地方全域がベトナム民主共和国の実効的支配下に入った1954年以降、再三にわたる政府主導の人口再配置の実施により、紅河デルタからベトナムの国家的マジョリティのキン(Kinh)すなわちヴェト(ViY¨t)が西北地方へと大量流入した。現在の西北地方各地の盆地中央部に形成された街区は、すでに人口の70%以上をキンが占めて広域流通、商業・行政活動の中枢を掌握している。1954年に終わりを告げた植民地期まで政治経済的また人口的にも優勢であった黒タイ、白タイ(T?y [?n, T?y Khao, Thaei tr?ng)などのタイ系盆地民の人々も、日常的な経済活動や通婚を通じたキンとの交流をより繁くしている。彼らは、自分たちがキンと同様に父系重視の習慣を継承していることを半ば誇らしく語る。父系的に継承されるのは姓と財産である。一方で、結婚すれば妻が夫方の姓に改姓する黒タイ、白タイの夫婦同姓制は、妻となった女性が改姓する習慣を持たないキンの父系制との相違点として強く認識されている。


このように黒タイと白タイの間では父系理念の存在が確認でき、彼ら自身も父系制社会を自認している。本書ではとくに黒タイの間で、その父系理念が「もの」と行為とを通してどのように実現されているのかを考察する。ここで扱う「もの」とはとりわけ家霊簿であり、行為とは姓と財産の父から息子への継承を指す。中国南部においては同じ宗族への所属を確認する物的装置として、譜の他に祠堂や共有地を持つ[井上 2000a:49]。しかし、黒タイ社会では父系集団ごとの祠堂や共有地は確認できない。


伝統的な譜と同様、黒タイの伝統的な家霊簿も紙の上に筆を用いて墨で記されている。譜を視野に収めた人類学的研究で、譜の生産といえば、民間の人々が同じ祖先から分かれた親族の系譜と関連情報を記録したり、古い譜に新情報を加えたりして、新しい譜を編纂する事業[cf.井上 2004:4-5]を意味する。しかし本書では、紙や筆記道具の生産や読み書き技能の獲得など、「もの」としての作成過程を含んだ家霊簿の生産について扱う。また譜の使用に関しては、いつ、どのように参照されるかよりも、記述内容の分析に焦点があてられ、そこから、一族の淵源の確認や祖先の名誉の記録、祖先の忌祭日の備忘録、アイデンティティとの結びつき、といった点が指摘されてきた[末成 1995:21;井上 2004:6]。一方、本書では、家霊簿が儀礼との関わりでどのように参照されるかを扱い、家霊簿の参照を黒タイの読書行為のなかに位置づける。


このように、従来の譜の生産、保管、使用(閲覧)に対する視点と、家霊簿を扱う本書の視点は完全に重なるものではない。このこと自体、譜と家霊簿の相違に由来している。譜は、1960年に発表された多賀による研究で紹介されている朝鮮譜だけで292、ベトナム譜だけで222ある[多賀 1960]。朝鮮譜、ベトナム譜の数はこの限りではないので数量的に家霊簿とは比較にならない。また中国南部や韓国の譜は、諸地域に居住している各支派の子孫が所蔵する系譜資料を蒐集し、各系譜を組み合わせて遡及的に系譜を回復する事業として編纂されてきた。したがって刊行を経て一族に配布されることも珍しくない[cf.須川 2004:96-97]。


一方、家霊簿は、譜とは次の点で対照を見せている。数がきわめて少なく筆者がこれまで6書しか実見していない点、家霊簿作成上の関連資料が少なく、ほぼ個人的な編纂による点、すべて手書きであり、印刷による大量複製がなされていない点、また黒タイ文字を読み書きできる人が、社会の特定階層に限定されている状況下で作成された点である。換言すれば家霊簿は、東南中国に顕著に見られる譜とは異なり、父系出自原理に基づき政治経済的機能を兼ね備えた団体としての宗族の活動としてではなく、かなり個人的に編纂されている。しかも、ベトナムや中国王朝におけるように、科挙試験合格者を輩出した誉を記して知らしめるような内容を持たない。その意味で漢字、中華文明、儒教に無関心である。また家霊簿は祖先たちの名を列挙するだけで、それ自体としては系譜関係を明示しない。にもかかわらず家霊簿を作り用いる黒タイの人々は、これを系譜を記した文書として理解している。その背後にある黒タイの親族関係とはどのようなものであろうか。さらに、譜をめぐる研究では議論の対象にならなかった、想定された読者が誰で、どのように読まれたのかという疑問が、家霊簿に関して生じてくる。黒タイの家霊簿研究においては、その編纂よりも「読む」行為に焦点を当てることで、独自の特徴が明らかになるのである。


紅河デルタのキンの村落における親族研究では、父系理念が存在する一方、親族関係のあり方に共系的(cognatic)側面も顕著に認められることが、20世紀前半以来指摘されてきた。キンの親族呼称の分析から、親族組織が双方的(colateral)であることを強調したスペンサーの研究[Spencer 1945]は、呼称レベルと集団としての活動実践レベルを混同している点で難があるが、結論は今日まで引き継がれ、なおも親族組織に関する古典的研究の一つとして目されている。1980年代以降、ゾンホ(d‡ng h?)とよばれる父系集団の実際の活動に焦点を当てた研究が進み、キンの日常生活や儀礼祭祀における外族(母方父系親族)との親密度、姻族の重要性、ときおり見られる婿入り婚、女性の地位の高さなどから、キンの親族関係における共系的側面が繰り返し指摘されてきた[Luong 1989:742;綾部 1992:201-218;末成 1998a:67]。父系的な行為集団ゾンホの中で、こうした共系的(双系的)原理がどのように共存しうるのか、また、ゾンホが中国式父系理念導入に基づき、どのように歴史的に形成されてきたかへの関心が高まっている。歴史的にいえば、沖縄への中国からの父系理念流入が17世紀以降であることが明らかであるが1)、同じくキンのゾンホの顕著な形成も17、18世紀以降である[嶋尾 2000]。またキンの間における中国式父系理念の土着化の点に関しては、ゾンホを単系出自集団としてのリニージやクランではなく、エゴ中心の単方原理から規定される父方キンドレッドとして解釈する視点を導入し、その父系的側面と共系的側面の共存状況の具体的検討が進んでいる[Suenari 1998:末成 1998a:68-69, 1998b:263-303;宮沢 2000]。


黒タイ村落においては父系理念が強く認識されている。父系的に継承される姓はシン(x/nh)と呼ばれ、その姓を同じくする人々もシン(x/nh)と称される。従来の研究ではシンは父系出自集団として見なされがちであった。しかし、シンはキンのゾンホと異なり、成員の忌祭などを組織する行為集団ではない。シンごとの規範といえば、シンごとに食物禁忌の慣行を有することが20世紀初頭まで明白に認められたこと、1954年に始まる社会主義化以前に貴族(lU`k t¬o)とされていたロ・カム(L? C《m)系統の同姓集合の者と、平民(lU`k d‘n)の同姓集合のうちクアン姓(Qu?ng)の者との通婚が規制されていたことくらいである2)[Maspe´ro 1916]。しかも筆者の観察に基づけば、黒タイ村落における社会生活では共系的結合がむしろ卓越している。黒タイの父系理念は、共系的な親族関係とどのように折り合いをつけて存在しているのであろうか。理念は、「もの」や行為という記憶と想起の形式を伴って持続的に実現される。黒タイ社会における父系的な姓と財産の継承という習慣は、父系理念の実現を可能にしているものの一つである。本書では家霊簿に焦点を当て、これが父系理念の実現と、どのように結びついているのかを考察する。とりわけ、系譜文書として観念されている家霊簿の内容と用法の分析、家霊簿とそれを用いた儀礼祭祀などの行為の分析が、次章以下での記述の焦点となる。

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著者紹介
樫永 真佐夫(かしなが まさお)
1971年、兵庫県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。
現在、国立民族学博物館准教授。専門:東南アジア民族学。
著書に『東南アジア年代記の世界:黒タイの「クアム・トー・ムオン」』(風響社、2007年)。編著書に、Written Cultures in Mainland Southeast Asia (Osaka: National Museum of Ethnology, in 2009)。主な共著書に『黒タイ首領一族の系譜文書』(国立民族学博物館博物館、2007年、カム・チョンとの共著)、Danh saech tA´ ti‘n h? L‡ CA`m Mai SI´n - SI´n La, H? NE`i:Nh? xu`t b?n Th’ giI^i(カム・チョン&樫永真佐夫 2003 『ムオン・ムアッのロ・カム一族の家譜』ハノイ:世界出版社)。その他、論文など多数。

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