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東アジアにおける宗教文化の再構築

東アジアにおける宗教文化の再構築

急速な近代化・情報化・大衆化にさらされる各地の宗教文化の現場から、変化の諸相と通底部を探る貴重な論集。

著者 鈴木 正崇
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2010/12/15
ISBN 9784894891487
判型・ページ数 A5・488ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

     ●第一部 中国大陸部

中国粤東地域における無縁の死者祭祀にみる変化と持続──海陸豊の「聖人公媽」祭祀を中心に (志賀市子)
 
 はじめに
 一 海陸豊地域における「聖人公媽」祭祀
  二 海陸豊地域における「百姓公媽」祭祀
 三 善堂と宋大峰信仰の普及
 四 海陸豊地域における無縁の死者祭祀の変化─聖人公媽の「顕聖」を阻むもの
 おわりに
 
盂蘭節の鬼祭祀にみる神・鬼・祖先の現在 (川口幸大)
 
 はじめに
 一 祭祀対象としての神・鬼・祖先と盂蘭節
 二 盂蘭節の事例
 おわりに
 
中国・ビルマ国境地域の仏教復興と儀礼の再活性化──雲南徳宏州、タイ族の事例から(長谷川 清)
 
 一 はじめに
 二 徳宏タイ族の上座仏教と儀礼、政治権力
 三 宗教政策と上座仏教の変遷
 四 仏教復興と国家との交渉
 五 考察
 六 おわりに
 
生きている祭祀芸能──中国福建省の「四平戯」 (野村伸一)
 
 はじめに
 一 楊源村の祭祀と芸能
 二 禾洋村の祭祀と芸能
 三 生きている四平戯──観客からみた祭祀芸能の諸相
 四 まとめ
 
ミャオ族の神話と現代──貴州省黔東南を中心に (鈴木正崇)
 
 はじめに
 一 神話のテクスト化
 二 神話の位置
 三 神話世界
 四 神話の特徴
 五 儀礼の日常化
 六 祖先祭祀の過渡期―一九八〇年代の状況
 七 考察
 八 大きな変化
 九 神話の読み替えとナショナリズム
 一〇 蚩尤の復権
 一一 地域における神話の再構築
 一二 可視化される神話

      ●第二部 東南アジア大陸部

ハニ族とアカ族の儀礼の解釈と政体の記憶──雲南と北タイの比較 (稲村 務)
 
 一 ハニ族とアカ族
 二 儀礼と解釈
 三 政体と生態
 四 土司──猛弄土司 
 五 アマトゥとミサチュサロー
 六 アマトゥの解釈
 七 儀礼の意味と政体の記憶
 八 結語
 
妖術からみたタイ山地民の世界観──ラフの例から (片岡 樹)
 
 一 はじめに
 二 東南アジア大陸山地の妖術論
 三 ラフの妖術をめぐる記録と伝承
 四 妖術霊の属性について
 五 おわりに
 
タイ北部におけるユーミエン(ヤオ)の儀礼体系と文化復興運動 (吉野 晃)
 
 一 ユーミエンIu MIen
 二 ヤオ道教Yao Taoism──ユーミエンの道教受容
 三 総体的祭司制Collective priesthoodと祖先祭祀
 四 書承文化としてのユーミエン儀礼体系
 五 儀礼の衰退
 六 文化復興運動──書承文化の再興?
 七 考察と結論
 
農村のポピュラー文化──北タイ、タイ・ルーの守護霊儀礼における芸能の変化 (馬場雄司)
 
 はじめに
 一 タイ・ルーの移住とチャオルアンムアンラーの儀礼
 二 儀礼における芸能の変化
 三 芸能の変化の背景
 おわりに
 
中国国外における中国人カトリック教会の再構築──ベトナム華人社会の事例から (芹澤知広)
 
 一 東アジアの革命とキリスト教の再構築
 二 近代中国におけるキリスト教と聖職者の現地化
 三 カトリック聖職者の中国国外への脱出と華人社会伝道
 四 ベトナムの華人社会とカトリック教会
 五 ホーチミン市の華人カトリック教会における華人聖職者養成
 六 ホーチミン市ゆかりの華人神父の現在
 七 結論


      ●第三部 台湾・韓国・日本

台湾漢人の葬送儀礼にみる変容──一九世紀末から二〇世紀末の葬儀案内文を資料に (上水流久彦)
 
 はじめに
 一 日本の植民地政策と葬儀の「改善」
 三 訃聞の掲載内容
 四 掲載される親族の範囲──植民地時代と光復後の比較
 五 殯葬期間の変化と植民地支配
 六 おわりに
 
韓国・安佐島における死者観念の変化 (金 美 連)
 
 はじめに
 一 死者儀礼
 二 家の守護神信仰
 三 民間信仰
 四 変化の要因
 おわりに
 
都市移住者における宗教の再構築
   ──奄美大島西阿室集落出身者の民間信仰の持続と新宗教加入に焦点をあてて (田島忠篤)
 
 一 問題の所在
 二 研究方法
 三 西阿室集落と同村出身者集団
 四 調査結果
 四 結論
 
孔子廟の礼楽に投影される「中華」と「本土」──台北市孔廟の弘道祠入祀典礼と春季祭孔をめぐって (水口 拓寿)
 
 一 問題の所在と検討の方法
 二 「中華文化復興運動」と台北孔子廟の礼楽改革(一九六八─七〇年)
 三 台北市孔廟の「弘道祠」設置と「郷賢」陳維英の入祀(二〇〇六年)
 四 台北市孔廟における「春季祭孔」の定例行事化(二〇〇八年)
 五 結語に代えて

索引

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内容説明

多様で重層的な宗教文化の伝統をもつ東アジア。急速な近代化・情報化・大衆化にさらされる中、その変容も様々である。各地における宗教文化「再構築」の現場から、変化の諸相と通底部を探る貴重な論集。〈慶應義塾大学東アジア研究所叢書〉

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まえがき   慶應義塾大学東アジア研究所副所長 鈴木正崇

本書は慶應義塾大学東アジア研究所のプロジェクト「東アジアにおける宗教文化の再構築」(二〇〇六年度・二〇〇七年度)に基づく研究成果である。研究会は総計一四回行なわれ、ほぼ毎回二人ずつ発表し、国際シンポジウムを二回行なった。


本プロジェクトは人々の生活に根ざす宗教文化の動態を観念と実践の双方から比較研究することを目的としている。宗教という概念はキリスト教の影響下で生み出され、一七~一八世紀の西欧の啓蒙主義と共に成立したという歴史性を帯びている。宗教概念はキリスト教以外にも宗教が複数存在することを自覚させ、キリスト教自体も宗教という一般的範疇に属するという認識を生みだすなど、相対化と比較の観点の導入には寄与したが、内面性に基づく個人の信仰を重視し、政教分離を理想として宗教に固有の領域を設定するなどの主張を含み、非西欧社会の宗教的諸現象の分析には不適合な様相がある。これに対して、宗教文化とは、創唱宗教や民俗宗教、スピリチュアリティを包摂し、各地での生活に根ざした個性的な展開の比較を可能にする概念で、個別的な現象から普遍性に至る志向性の中で論じることができる。


本書は神霊の観念や他界観、霊魂観を探求し、死生観を問うよりも、宗教性を帯びる現象を広義の文化の中に位置付けて理解し、生活の中に日常的実践として定着した不可視の世界との交流を通じて、生活世界がどのように変わり、どこへ向かっていくのかなど、生活の変化や動態を通じて人間について考え直すことを目的とする。本書の論考は、観念よりも実践に注目し、フィールドワークによる個別具体的な事例の言説や表象を通じて、不可視のものとの信頼関係や互酬性による自己や共同の体験の表現を明らかにし、経験の組織化である儀礼の考察を通じて、民俗知や経験知を多様な形で提示している。一方、文化の概念は生活様式や思考形態など曖昧模糊たる定義しかできないにもかかわらず、現代では世界各地に拡がって創造力と想像力の源泉となり、伝統文化として保護の対象とされ、文化政策として展開するなど、各国政府、諸民族、地域社会によって意図的に利用され、読み替えや流用を通じて多様で複雑な働きをしている。こうした動きの中で宗教文化は文化遺産や文化財などを通じて、ナショナリズムやグローバル化と連動して新たな役割を果たすようになっている。本書は以上のような観点から、歴史的に密接な交流を維持してきた東アジアの宗教文化の特性や地域性に配慮し、文化の再構築や再構成の動態を検討することを意図している。


もちろん東アジアという地域概念は歴史認識の場として設定されてきたのであり、自明の地域というよりは歴史的な意味を持って登場して使用されてきたことを忘れてはならないのであって、当初から固有性や共通性を前提に議論することは慎重さを要する。


本書の構成は、地域ごとに三つにわけ、第一部 中国大陸部、第二部 東南アジア大陸部、第三部 台湾・韓国・日本、とした。第一部は広東・福建・雲南・貴州など中国南部の事例を通じて、漢族だけでなく、漢族と少数民族の関係や拮抗も主題としている。志賀論文は広東省の海陸豊地域での無縁の死者(聖人公媽・百姓公媽)の記憶を現地での死者供養の変遷を通じて考察し、地域社会で活性化する民俗宗教の動態を提示して、無縁の死者祭祀は多様性を持ち、歴史の動きと共に変動することを論じている。川口論文は広東省の広州市近郊で旧暦七月の盂蘭節に行われる鬼の祭祀を検討し、村落社会での鬼の観念や、儀礼の実態を明らかにし、神・鬼・祖先の体系として認識されてきた漢人の儀礼的世界観が、共産党の統治を経てどのように変化したかを検討している。野村論文は福建省政和県の農村での祭祀演劇の復活を通じて、パトロンであった父系親族集団である宗族の動態と今後の変化の行方を論じ、男性主体に見える演劇に女性観客の意向が反映され、演目の中の女主人公から生き方を学ぶという新たな観点を導入して、活きた演劇として機能している様相を描き出した。長谷川論文は雲南省の徳宏の瑞麗に住むタイ(?)族の上座部社会を取り上げ、仏教復興や儀礼の再活性化と中国政府の宗教・民族政策との関係を検討して、国境地域で展開するエスノ・ポリティックスの位相を描き出し、国境を越えて広がる宗教的ネットワークのトランスナショナルな属性が「国民国家」の文脈を相対化する視点を提供する。鈴木論文は貴州省黔東南のミャオ(苗)族の神話が口頭伝承から文字へとテクスト化され、資源として知識や実践の運用に利用されて読み替えられて、新たな文化表象として発現していることを論じ、一九九〇年代の経済自由化と市場経済の進展による変動の中で、神話は少数民族のエスニック・アイデンティティを再構築する源泉となり、中央の「愛国主義」(ナショナリズム)への周縁からの対抗言説となったことを検討した。


第二部では東南アジア諸国と中国の国境に跨って生きる人々や中国との関係性を持ち伝えてきた人々の事例を取り上げる。稲村論文は雲南のハニ(哈尼)族と北タイのアカ族という同系統の民族を比較し、生態と政体の関係を論じ、中国王朝と少数民族側の結節点としての土司の役割に注目しつつ歴史の読み替えを検討する。儀礼の意味と政体の記憶の関係性から、系譜・女性始祖・移動の物語を検討し、迷信から民族文化への文脈転換や、文化財としての復興と生態ブームや観光化を論じている。片岡論文は北タイのラフ(拉?)族について、一九世紀末以降にキリスト教の布教が妖術への対抗として浸透し、上座部仏教のカリスマ僧の影響が加わって、功徳─罪の軸に対して、功徳─妖術の軸を形成し、山地での広域な政治統合の解体が想像力の拡散をもたらして妖術として語られると推定し、キリスト教化が国民国家と並存している状況を検討した。吉野論文は中国のヤオ(瑶)族と同系統である北タイのユーミエンの事例を取り上げて、ヤオ道教と称される独自の儀礼と教義を持つ宗教世界の変容を論じ、祭司の数は減少しても儀礼への需要は衰退しないが、伝統維持への危機感からNGOが漢字学習や出版事業を通じて文化復興を展開し伝統を再構築する動きについて論じた。馬場論文は北タイに住むタイ・ルーの儀礼と芸能について、都市文化の影響を受けた農村の変化、再編される高齢者文化の諸相、政策の施行と農民の様々な対応という三つの観点から考察し、芸能では女性や高齢者の活躍が目立ち、演目が多様化するなどの変化を指摘し、農村開発が進む中での伝統の継承をめぐる村人の様々な志向を論じている。芹澤論文はベトナム南部の華人(ホア族)社会での中国人カトリック教会の事例を考察して、ドイモイの自由化の中でキリスト教文化が新たな精神的な拠り所となり、民族文化が再構築されていく様相を考察し、更に、香港のベトナム人カトリック団体と比較して移民と宗教を巡るトランスナショナルな状況の多様な展開の諸相を明らかにした。


第三部は台湾・韓国・日本の事例を取り上げて、中国大陸や東南アジアとの共通性や差異性を検討する試みを行なった。上水流論文は、台湾漢人の葬送儀礼の変容に関して葬儀案内文を資料として論じ、社会の動態との相関を明らかにして、日本の植民地支配の影響と、経済発展に伴う近代的価値の変化が親族観念や死生観に及ぼす影響を検討した。水口論文は台北の孔廟(孔子廟)での礼楽(儀礼・衣服・音楽・舞踊)の変化に注目して、儒教が政権の正統性を示す機会として提示され、台湾の「本土」と「中華」をめぐる言説のせめぎあいの焦点になっていることを考察している。金論文は韓国の安佐島でのキリスト教化について論じ、在来の民俗慣行が新たな葛藤に巻き込まれ、死者の観念の変化をもたらした状況を検討した。韓国ではキリスト教が急速に普及したが,葬儀と祖先祭祀には大きな葛藤が生じており、相互の関係を通して伝統への問いかけを行なっている。李論文は韓国巫俗について、職能者の巫堂の儀礼の内容や神格は大きく変化しないが、活動領域や巫俗への社会的認識が変容し、共同体性や地域性が衰える一方、儀礼の宗教性が強調され、歌や踊など文化的要素の軽視や、秘儀化の現象がうまれ、伝統文化として資源化されるなど、地域を越えた新しい宗教へと再生する過程にあることを論じた。田島論文は日本の奄美大島での新宗教の受容と民間信仰との習合を論ずると共に、奄美を母村とし本土の京阪神に移住した人々の生活史を通じて宗教の受容のあり方を長期間にわたって検討し、都市移住者が郷友会を基盤に既成宗教(新宗教を含む)に所属し多様な動きを展開する過程を母村との相互交流を通して論じている。


中国・台湾・韓国・ベトナム・タイ・日本など東アジア・東南アジア各地での宗教文化は、人々の移動、情報の拡散、政治経済の変動などによって生じた伝統文化の崩壊による危機意識の高まりの中で再構築されて、日常生活の暮らしの中で大きな役割を担っている。もちろん、崩壊や絶滅した宗教文化も多い。しかし、総じて宗教文化は社会的基盤となる地域性や共同性の揺らぎにもかかわらず、個人の要求を取りこみ、行政と新たな関係を結び直し、ローカル、ナショナル、グローバルの三次元が錯綜する中で大きく変動して再生し活性化している。そして、エスニック・アイデンティティやナショナリズムに関わり、観光化や文化財化による資源として活用される一方、紛争を作り出す要因になり暴力と結び付いて対立を生じる要因ともなる。今後の宗教文化の行方は流動的だが、トランスナショナルな動きを強め、更に多様に広がって再創造され、活力溢れる展開がなされる可能性があり、広い意味での宗教文化を考慮した相互理解は国際交流の課題となろう。
プロジェクトの研究会では数多くの方々に発表を頂いたが、未収録のものについて発表者と題名を掲げておく。なお、研究会の全容は東アジア研究所ニューズレターに掲載しHPで閲覧可能となっている(http://www.kieas.keio.ac.jp/newsletter/index.html)。


何彬(首都大学東京都市教養学部教授)「福建省の民間信仰の復興と寺院」
川瀬貴也(京都府立大学文学部助教授)「高橋亨の朝鮮人観・朝鮮宗教観──京城帝国大学の知識社会学を目指して」
小熊誠(沖縄国際大学総合文化学部教授)「沖縄文化における中国文化の影響──中国の宗族と沖縄の門中の比較研究」
谷口裕久(龍谷大学講師)「雲南省ミャオ族におけるキリスト教の展開と民族社会」
三尾裕子(東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所教授) 「土着化した中国系移民について──ベトナム、ホイアンにおける『明郷』を事例に」
五十嵐真子(神戸学院大学人文学部人文学科教授) 「現代台湾における宗教の意義──佛光山を事例に」
金良淑(東京大学大学院博士課程) 「韓国における巫業者団体の設立と『迷信打破』再考──大韓敬信連合会を中心に」
島村恭則(秋田大学教育文化学部日本・アジア文化講座准教授) 「〈生きる方法〉の民俗誌──在日朝鮮系住民集住地域をフィールドとして」
吉原和男(慶應義塾大学文学部教授)「ある華人宗教の越境性と巡礼──徳教の事例から」
本多守(東洋大学大学院博士課程) 「ベトナム・チル集団のエスニック・アイデンティティの変容──婚姻への影響」
中西裕二(立教大学観光学部教授)・小野敦子(岐阜大学大学院修士課程) 「ベトナム南部の明郷について」


国際シンポジウムとしては「東アジアにおける民間道教の現在」(二〇〇六年一一月一一日)を開催し、葉明生(福建省藝術研究所研究員・理論研究室主任)「福建省の民間道教──閭山教の歴史と現況」、浅野春二(國學院大學文学部助教授)「道教儀礼としての?と民衆の祭りとしての?──台湾南部の事例から」、鄭正浩(ノートルダム清心女子大学文学部教授)「道教と華人社会──辟邪呪物信仰と盂蘭盆関連行事を中心に」の発表があった。中国文化を特徴付ける道教、特に民間道教について、台湾・福建・東南アジアを比較する試みを行なった。葉は閭山教と呼ばれる民間道教の教派が陳靖姑信仰を中核に持つ夫人教と融合して、独自の信仰や儀礼を展開している様相を巫俗と共に検討した。浅野は台湾南部での大規模な「建?祭典」を通して、道士と民衆の融合や棲み分けについて、「平安」を如何に齎すかという観点から論じた。鄭は道教的辟邪呪物について、台湾・タイ・シンガポール・マレーシア各地の調査に基づく広範な比較を行い、民衆による道教的習俗の受容と展開を考察して、「辟邪」の思想と行動の華人社会での意味を論じた。


また、ミニ・シンポジウム「東アジアにおける祭祀と演劇」(二〇〇七年六月三〇日)では、田耕旭(高麗大学校師範大学国語国文科教授) 「韓国仏教と演戯者の関連について」と馬建華(福建省藝術研究所研究員)「中国福建省の上元節──仙游県至霊宮の事例から」 の発表が行なわれ、韓国と中国を比較し、祭祀と演劇に仏教や道教がどのように関与し、変化させてきたかを検討した。田は朝鮮の仏教寺院では、僧侶でありながら演戯に従事する「才僧系統」の人々がいることを指摘し、東アジア文化圏での仏教と演劇の関係を論じた。馬は祈年?を地方神信仰・遊神活動・道壇活動の観点から論じ、中国の民間信仰は道家思想が持つ生命力によって再生や繁栄が可能だと指摘した。二つのシンポジウムは宗教文化の変わりにくい要素の実態を明らかにしたと言える。


本プロジェクトは高橋産業経済研究財団の支援を得て行なわれた。関係各位に感謝申し上げたい。なお、御協力いただいた東アジア研究所の前所長の国分良成教授、現所長の添谷芳秀教授にも御礼申し上げたい。また、研究所事務室の小崎由紀子さんと小沢あけみさんからも様々な御協力を頂いたことを明記し、合わせて感謝する次第である。


本書の刊行に際しては、風響社社長の石井雅氏の格別の御協力を頂いた。執筆者を代表して心から御礼申し上げたい。


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執筆者紹介
鈴木正崇(すずき まさたか)
1949年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。文学博士。
現在、慶應義塾大学文学部教授。
著書に、『スリランカの宗教と社会』(春秋社、1996年)、『神と仏の民俗』(吉川弘文館、2001年)『女人禁制』(吉川弘文館、2002年)、『東アジアの近代と日本』(慶應義塾大学出版会、2007年、編著)、『東アジアの民衆文化と祝祭空間』(慶應義塾大学出版会、2009年、編著)など。

志賀市子(しが いちこ)
1963年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。専攻:文化人類学、民俗学。
現在、茨城キリスト教大学文学部教授。
著書に、『近代中国のシャーマニズムと道教』(勉誠出版、1999年)、『中国のこっくりさん―扶鸞信仰と華人社会』(大修館書店、2003年)、『日本人の中国民具収集―歴史的背景と今日的意義』(風響社、2008年、共編著)。論文に「民国期広州の道教系善堂―省躬草堂の活動事業とその変遷」『中国―社会と文化』22号(2007年)など。

川口幸大(かわぐち ゆきひろ)
1975年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。専攻は文化人類学。
現在、東北大学大学院文学研究科准教授。
著書に、『東南中国における伝統のポリティクス―珠江デルタ村落社会の死者儀礼・神祇祭祀・宗族組織』(風響社、印刷中)。論文に、「社会変動のなかの宗族組織―中華民国期の広東省珠江デルタの事例から」『国立民族学博物館研究報告』33(3)、2009年、「共産党の政策下における葬送儀礼の変容と持続―広東省珠江デルタの事例から」『文化人類学』69(2)、2004年など。

野村伸一(のむら しんいち)
1949年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。専攻は東アジア祭祀芸能史。
現在、慶應義塾大学文学部教授。
著書に『東シナ海祭祀芸能史論序説』(風響社、2009年)、編著;『東アジアの女神信仰と女性生活』(慶應義塾大学出版会、2004年)、『東アジアの祭祀伝承と女性救済─目連救母と芸能の諸相』(風響社、2007年)など。

長谷川 清(はせがわ きよし)
1956年生まれ。上智大学大学院博士後期課程単位取得退学。
現在、文教大学教授。
論文に、「都市のなかの民族表象─西双版納、景洪市における『文化』の政治学」塚田誠之編『民族表象のポリティクス』(風響社、2008年)、「宗教実践とローカリティ─雲南省・徳宏地域ムンマオ(瑞麗)の事例」林行夫編著『〈境域〉の実践宗教の大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』(京都大学学術出版会、2009年)など。

稲村 務(いなむら つとむ)
1966年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。
現在、琉球大学講師。
論文に、「中国ハニ族の『支系』について─民族識別と『支系』概念の整理」『歴史人類』30号 (筑波大学歴史・人類学系 、2002年)など。

片岡 樹(かたおか たつき)
1967年生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程単位取得退学。博士(比較社会文化)。専攻は文化人類学、東南アジア地域研究。
現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。
主著書に、『タイ山地一神教徒の民族誌』(風響社、2007年)、『講座世界の先住民族第10巻 失われる文化、失われるアイデンティティ』(明石書店、2007年、共著)、『ラフ族の昔話―ビルマ山地少数民族の神話・伝説』(雄山閣、2008年、編訳)など。

吉野 晃(よしの あきら)
1954年生まれ。東京都立大学(現首都大学東京)大学院社会科学研究科博士課程(社会人類学専攻)単位取得退学。博士(社会人類学)。専攻は社会人類学。
現在、東京学芸大学教育学部人文社会科学系教授。
主著書に、『儀礼・民族・境界―華南諸民族「漢化」の諸相』(風響社、1994年、共著)、『民族の移動と文化の動態―中国周縁地域の歴史と現在』(風響社、2003年、共著)、Written Cultures in Mainland Southeast Asia (Senri Ethnological Studies) (国立民族学博物館、2009年、共著)、など。

馬場雄司(ばば ゆうじ)
1957年生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学修士。専攻は文化人類学。
現在、京都文教大学人間学部文化人類学科教授。
主著書に、『職能としての音楽』(東京書籍、1990年、共編著)、『音のフィールドワーク』(東京書籍、1996年、共著)、『土地所有の政治史』(風響社、1999年、共著)、『タイ文化圏の中のラオス─物質文化・言語・民族』(慶友社、2009年、共著)など。

芹澤知広(せりざわ さとひろ)
1966年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(人間科学)。
現在、奈良大学社会学部准教授。
著書に、Voluntary Organizations in the Chinese Diaspora(Hong Kong University Press、2006年、共著)、Food and Foodways in Asia: Resource, Tradition and Cooking(Routledge、2007年、共著)、『日本人の中国民具収集─歴史的背景と今日的意義』(風響社、2008年、共編著)など。

上水流久彦(かみづる ひさひこ)
1968年生まれ。広島大学社会科学研究科博士課程修了、学術博士。
現在、県立広島大学地域連携センター助教。
主著書に『台湾漢民族のネットワーク構築の原理:台湾の都市人類学的研究』(渓水社、2004年)、『植民地の朝鮮と台湾』(第一書房、2007年、共著)、『台湾外省人の現在─変容する国家とそのアイデンティティ』(風響社、2008年、共訳)など。

水口拓寿(みなくち たくじゅ)
1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
現在、東京大学大学院人文社会系研究科助教。
主著作に、『風水思想を儒学する』(風響社、2007年)、『宋史禮志二譯注』(文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」王権理論班、2007、共編著)、「『中華文化の復興』としての孔子廟改革─1968─70年の台北孔子廟を焦点として」中島隆博編『中国伝統文化が現代中国で果たす役割』(東京大学グローバルCOE共生のための国際哲学教育研究センター、2008年)、「四庫全書における術数学の地位─その構成原理と存在意義について」『東方宗教』115号(日本道教学会、2010年)など。

金 美 連(きむ みよん)
1971年韓国釜山生まれ。日本大学大学院国際関係研究科国際関係研究専攻博士後期課程修了。国際関係博士。
現在、日本大学国際関係学部、静岡県立大学短期大学部非常勤講師。
主論文に、「キリスト教の受容における文化変容―韓国・安佐島の祖先祭祀と葬礼」『大学院論集』
第13号(日本大学大学院国際関係研究科、2004年)、「キリスト教徒の祖先崇拝への対応―韓国・安佐島とソウル、日本・三島の事例による比較考察」『大学院論集』第14号(日本大学大学院国際関係研究科、2004年)、「???? ??(喪祭)―?? ??? ???? ??? ??? ??」
『比較民俗學』第31輯(比較民俗學會、2006年)、「日本のキリスト教信者の死者儀礼への対応―三
島市と静岡市の事例を通して」『哲学』第119集(慶応義塾大学三田哲学会、2008年)など。

李龍範(イ ヨンボム)
1960年生まれ。ソウル大学校大学院宗教学科学位取得。専門領域・課題は伝統宗教の変容の問題。
現在、全北大学校「コメ・生活・文明研究院」HK研究教授、社団法人韓國宗教文化研究所、研究委員。
著書に、『東北亞熊神話と中華主義神話論批判』(東北亞歴史財團、2009年、共著)、論文に、「韓国の伝統死の儀禮の変化」『宗教文化批評』16号、(韓国宗教文化研究所、2009年)、「現代韓国の檀君認識と民族問題」『東北亞歴史論叢』20号(東北亞歴史財団、2008年)、「智異山聖母信仰に対する小考─民間信仰を中心に」『宗教と歴史:尹イフム教授定年退職記念論文集』(ソウル大学宗教問題研究所、2006年)など。

田島忠篤(たじま ただあつ)
1954年生まれ。ロンドン大学 キングス・カレッジ人文学研究科神学・宗教研究専攻(Ph.D.)。専攻は宗教社会学・宗教人類学。
現在、天使大学看護栄養学部教養教育科教授。
著書に、『南島―その歴史と文化4』(第一書房、1982年、共著)、「沖縄文化圏における祖先祭祀の地域性について」『宗教研究』312号(第71巻第一輯、日本宗教学会、1997年6月)、「村落コミュニティの地域性と都市移住について─奄美大島出身者と済洲島出身者の比較を通して」『天使大学紀要』(2001年)、など。

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