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現代ビルマにおける宗教的実践とジェンダー

現代ビルマにおける宗教的実践とジェンダー

仏教と精霊信仰の二元論で語られてきたビルマの宗教世界。図式化されてきた構図に新たな視座を提供する貴重な論考。

著者 飯國 有佳子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2011/02/20
ISBN 9784894891630
判型・ページ数 A5・312ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はしがき
凡例

序章 問いの射程

 一 本書の目的
 二 仏教か精霊信仰か?
 三 周辺化される「女性」
 四 ジェンダー研究と宗教
 五 フィールドワークの足跡
 六 本書の構成

第一章 R村

 一 R村へ
 二 村の政治・権力とジェンダー
 三 農業労働の場面におけるジェンダー

第二章 村落社会における宗教とジェンダー

 一 村を形作るもの
 二 生活の中の儀礼
 三 儀礼と村の宗教組織

第三章 世帯単位の宗教活動と女性

 一 世帯における男女の関係
 二 屋敷地・家屋の構成概念とジェンダー
 三 世帯の宗教的責務を担う者

第四章 仏教儀礼の場におけるジェンダー

 一 仏教・ジェンダー・力
 二 パゴダ祭りにおける男女の役割分担
 三 仏教儀礼で構築される秩序
 四 相対化される仏教の男性中心主義性

第五章 精霊祭祀の場におけるジェンダー

 一 精霊とは
 二 世帯で行う「伝統の精霊」の祭祀
 三 宝くじの村への普及とシンヂーティンの変化
 四 精霊とのかかわり方とジェンダー差

第六章 宗教的二元論とジェンダー─二つの雨乞いの事例から

 一 さまざまな雨乞い
 二 二つの雨乞いとは
 三 闘争の場としての雨乞い
 四 宗教的二元論から「界」における闘争へ

終章 実践理論から見た宗教的二元論とジェンダー

 一 仏教的な場における女性の宗教的実践
 二 精霊信仰の場における女性の宗教的実践
 三 ジェンダー・イデオロギーの「謎」
 四 カテゴリーから個の実践へ

あとがき
参考文献
資料
索引

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内容説明

仏教と精霊信仰の二元論で語られてきたビルマの宗教世界。本書は村落で行われる宗教的実践を、人類学の立場から詳細に観察。それらをジェンダーの視点から見直すことによって、従来の図式化されてきた構図に新たな視座を提供する貴重な論考。


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はしがき


二〇〇二年七月一三日。ミャンマー連邦第二の都市として知られるマンダレーから数十キロ北上した上ビルマのある村落において、同じ日に二通りの雨乞い儀礼が開催された。一つは、村の年配女性たちを筆頭に、村長の妻や職業的霊媒が中心となって行った「村の守護霊」祭祀と綱引きであり、もう一つは、村長や「仏塔管理委員会」の男性数名が急遽その実施を決定した上座仏教僧による護呪経文の唱誦であった。


これら二つの雨乞い儀礼をみると、一見男性が仏教儀礼を実施する一方で、女性は精霊祭祀の担い手となっているようにみえる。実際、従来のビルマにおける宗教研究では、仏教と精霊信仰は相反するものとして二項対立的に捉えられ、なおかつ両者の対立は男性が仏教に、女性が精霊祭祀に関与するというように、そのままジェンダーの違いと並列的に結びつけられる傾向があった。


ところが現在、急激なグローバル化や近代化を背景に、こうした単純な図式では捉えきれない錯綜した状況が顕著になっている。経典の解説書を精読し、内観瞑想の実践を通して、より高い精神的境地を目指す女性たちの姿は、都市部では既に日常的なものとして定着している。また、近年特に顕著な職業的霊媒としてのM t o F(M a l e t o f e m a l e)トランスジェンダーの台頭は、あたかも霊媒が女のなるものというのはかつての話といわんばかりの勢いとなっている。こうした都市部の状況に対し、六〇年代頃の民族誌に散見される「男性よりむしろ女性の方が仏教的活動に熱心であり宗教活動全般は女性が担う」という記述と同様の状況は、筆者の調査村でも観察できた。現在のビルマにおける宗教とジェンダーの関係は、最早「仏教=男性、精霊信仰=女性」というジェンダー化された宗教的二元論についての単純な言説では説明できなくなっているのである。


一方で、上座仏教社会の宗教的現実が仏教と精霊信仰を二大軸として複雑に構成されているという事実は、上述の二つの雨乞い儀礼の事例が示すとおりである。ここから「仏教=男性、精霊信仰=女性」という図式の無効性を改めて論証した上で、このような図式に則ったかにみえる現実を、別の視点から考察しなおす必要が生じる。あたかも「男性=仏教、女性=精霊信仰」という旧来の図式に合致したかたちで儀礼が行われた村落は、こうした作業の格好の舞台といえるだろう。


上座仏教は東南アジア大陸部を中心に各地へと広まる過程で、高度な均質性を保ちつつも、その土地に以前から存在した多様な信仰と融合しながら独自の発展を遂げてきた。明確に切り分けられないほど互いに密接に関連しあう仏教と精霊信仰の境界線を、彼らはどこで引くのか。宗教をめぐる男性と女性の関係性とはいかなるものなのか。本書で扱うのは上ビルマの一村落の事例であるが、こうした疑問は他の上座仏教社会にも多かれ少なかれ共通する問題ではないだろうか。


そこで本書では具体的な民族誌資料に基づき、宗教とジェンダーを巡る二元論を見直すことでビルマ宗教研究の再考を図ることを主な目的としているが、その際女性の宗教的実践に注目する。なぜなら、上座仏教研究には男性の出家者を「正統な」仏教の担い手とみなすジェンダー・バイアスが内在しているからである。女性は仏教と精霊信仰の双方の担い手であるにもかかわらず、出家できない一介の在家信者すなわち「二級の仏教徒」として研究対象として取り上げられず、女性の宗教的実践も特定の関心事として「ゲットー化」されてきた。そのため、女性の宗教的実践への注目は、これまで女性の視点を抜きに語られてきた仏教と精霊信仰の複雑な関係を異なる視点から捉えなおすとともに、仏教に内包される男性中心主義の相対化に必要な視座を導き出す可能性を持つ。しかも、こうした仏教の土着宗教に対する優位性と仏教が内包する男性中心主義性を、ジェンダーの視点から問いなおす試みは、宗教研究のみならず東南アジアのジェンダー研究においても重要な意義を持つ。


東南アジアのジェンダー研究では、宗教的な領域での女性の明確な劣位とそれ以外の領域での相対的な地位の「高さ」の間にみられる「矛盾」は、「ジェンダー・イデオロギーの謎」とも称されるほど架橋の難しい問題とされてきた。その上、日常的な社会生活におけるジェンダーの様態に比べ、宗教的な領域に関する研究は必ずしも多くはなく、女性の宗教行為に着目した場合でも、教義上の説明をそのまま現実にあてはめて説明する傾向が見られた。


しかし、宗教を巡るジェンダー規範は経典に還元可能な単一のものではなく、しかも恒常的な変化にさらされていることは、上述のトランスジェンダー霊媒の増加といった事例からも明らかである。ここから、宗教的側面におけるジェンダー規範やそれを再帰的に構築する実践を明らかにするとともに、宗教的領域と日常生活におけるジェンダーのあり方を架橋する試みが必要となる。この点で本書はささやかながら、東南アジアのジェンダー研究が抱える「ジェンダー・イデオロギーの謎」にビルマの事例から迫ろうとするものともなっている。


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著者紹介
飯國有佳子(いいくに ゆかこ)
1972年、島根県生まれ。
大阪外国語大学外国語学部ビルマ語学科卒業。
総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻修了。博士(文学)。
在ミャンマー連邦日本大使館専門調査員、ミャンマー連邦大学歴史研究センター客員研究員を経て、現在国立民族学博物館外来研究員、東京外国語大学・法政大学非常勤講師。
主な著書・論文に、『ミャンマーの女性修行者ティーラシン―出家と在家のはざまを生きる人々』(2010年 風響社)、「フェミニズムと宗教の陥穽―上ビルマ村落における女性の宗教的実践の事例から」(『国立民族学博物館研究報告』34巻1号 2009年)、“Why Have Nunneries Disappeared? : A Case Study of a Village in Upper Myanmar”, in UHRC (ed.) Traditions of Knowledge in Southeast Asia, Part 2, 2004等がある。

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