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家屋とひとの民族誌

北タイ山地民アカと住まいの相互構築誌

家屋とひとの民族誌

伝統を重んじる人々の村落観や家屋モデルを分析し、その霊的世界観や慣習的知識を抽出。人類学と建築学の方法論を融合した論考。

著者 清水 郁郎
出版年月日 2005/03/20
ISBN 9784894897014
判型・ページ数 A5・429ページ
定価 本体8,400円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき
本書の構成
凡例

第一章 家屋のパースペクティブ

 一 本書の目的と方法論──「アカの家屋」をめぐる問題を手がかりに
 二 家屋はどのように扱われてきたか
 三 フィールド
 四 フィールドワーク

第二章 生活の舞台1──ロゥチの村落

 一 領域の画定
 二 稲の播種
 三 まとめ──村落の時空間の組織

第三章 生活の舞台2──ロゥチの屋敷と家屋

 一 屋敷と家屋の空間
 二 家屋の構法
 三 まとめ──屋敷と家屋の組織

第四章 女性──豊かさを運ぶ存在

 一 住まい方
 二 世帯における女性の役割
 三 まとめ──世帯の理想像

第五章 神話──家屋理解の知的道具

 一 空間の表象
 二 神話における家屋のイメージ
 三 まとめ──神話の作用

第六章 霊的存在──空間を組織する鍵

 一 「内部の霊」──祖霊
 二 「外部の霊」──自然界の霊
 三 まとめ──人と霊的存在の相互補完的関係

第七章 枠組みからの逸脱──ザンサンホ再考

 一 ザンサンホとはなにか
 二 「指導者」のザンサンホ
 三 家屋とザンサンホ
 四 まとめ──解釈の多様性

第八章 祭壇を捨てる──「生き方」をめぐるキリスト教徒とロゥチの議論

 一 タイのアカに対するキリスト教布教の歴史
 二 B村のキリスト教徒
 三 キリスト教徒とその家屋
 四 まとめ──揺れ動く人と家屋

第九章 結論と今後の課題
 一 総括
 二 人と家屋の相互構築
 三 今後の課題 

 あとがき
 参考文献
 索引

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内容説明

伝統を重んじる人々の村落観や家屋モデルを分析し、その霊的世界観や慣習的知識を抽出。一方、「ひと」や生活との関わりの中ではそれらが固定的観念ではなく、モデルも変容していく様を解明。人類学と建築学の方法論を融合した気鋭の論考。


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まえがき


タイ北端に位置するチェンライ県の市街。


その中心にある大きな市場付近で、私は毎日、たくさんのアカの人びとを見かけていた。アカの人びとは、早朝から午前中にかけて、近郊の山から買い物に来たり、収穫した農作物を市街近郊の仲買業者に売りに来たりしていたのだった。一九九二年四月のある日、私はとうとう、山地に帰るある一団の車に乗せてもらい、村に連れていってもらった。


その後に訪れるようになったいくつものアカの村で、さまざまな家屋を泊まり歩いた。高床式や地床式、茅葺きや波板鉄板葺き、スレート屋根、瓦葺きの屋根、仕上げのきれいな木造の家屋もあれば、竹だけでつくられた簡素な家屋もあった。機械で製材された部材で組み立てられた堅牢な家屋に住む人びと。そこでの豪勢な食事。ビルマから越境してきたばかりで満足な建築部材が集められなかった人びと。そんな人びとが暮らす隙間だらけの家屋に泊まらせてもらったときは、谷から吹き上がる寒風に震えながら、夜明けまで寝袋の中でじっとしていた。本書は、こうした出会いにはじまり、二年弱のフィールドワークを途中に挟みながら、北タイをおもな舞台として現在まで続いている研究の到達点を示すものである。


目的は明確である。北タイの山地に生きるアカの人びととその家屋を事例として、これまで固定的、静態的にとらえられてきた人と家屋との関係を相互構築という観点からとらえ直すことである。ここで、その内容を少なからず述べる前に、本書を執筆する背景として、工学出身の私が北タイの山地での研究に向かった経緯を述べておきたい。


私は、修士課程までは建築物を建てるときの諸計画をおこなう建築計画学を学び、あわせて家屋の調査・研究をおこなっていた。この計画学は、日本では機能主義建築の潮流と歩調を合わせて体系化がはじまり、また、戦前や戦後の住宅不足を解消するために安価で高品質な住宅を供給するという目的に沿って、独特の発展を遂げた。建築学自体も応用的な学問だが、その中でもこの分野はひときわ応用的性格が強い。この分野では、「デザイン・サーヴェイ」の発想にもとづいて、現実にある家屋を対象とした調査・研究をおこなうことも多い。伝統的な集落の組織、家屋の構法や空間の組織、建設手法、居住様式などの諸特徴を究明して、そこから設計・計画手法の利点を抽出し、現実の計画に活かそうとするためである。


私が参加したいくつかの調査・研究──日本の離島、エーゲ海周辺、北タイなど──では、都市部から比較的隔絶し、高密度に集合かつ自律した村落が調査地として選ばれた。それらの地域社会では、集住を可能にするなんらかの仕組みが存在し、建築にもそれが反映されていると想定されたからである。どのような仕組みが存在し、それがどのように世代を超えて継承されてきたのかという観点から、調査・研究はおこなわれた。


その過程で、私は、建築学の枠組みを越えたより幅広い視点から調査・研究をおこなうことが必要だと考えるようになった。実際に家屋に住む人びとがその家屋をどのように考えているのかということに強い興味を覚えたからである。これは、大学の教室で語られない建築は語る意味がないのかという、かねてから抱いていた疑問ともつながっていった。たとえば、アカの家屋は一見したところ、物質としてはきわめて簡素で、空間の組織を除けば特徴に乏しい。こうした家屋を前にしたとき、私が身につけた視点が対象化できる部分はかなり狭い範囲に限定されてしまうのだった。


私がしたかったのは、たとえばアカの家屋の内部が昼間でもとても暗いのは、開口部が入り口しかないからだと理解することではなかった。その入り口がたいていは閉め切られているからと説明することでもなかった。家屋は冥界にいる祖先とも関係が深いこと、祖先を含む霊的存在は人とは正反対の属性を持つこと、人が昼間すなわち太陽光の降り注ぐ時間帯に活動するのとは対照的に、霊的存在は夜間に活動するとアカは考えており、家屋はそのような考えを表現するのに適しているということを知りたかったのだ。必然的に、工学から、工学と人文科学の境界領域へと私の研究の方向性は移り、現在にいたるわけである。


本書に通底する問題意識はふたつある。ひとつは家屋の変化への視点である。ある社会の家屋について考えるとき、その物質としての本性──家屋が形式を持つということとそれが変化するということ──がいかに重要であるか。それを、本書では一貫して示そうとしている。形式とは、空間の組織であり構法である。家屋は、あるレベルの集団に固有であれ、個別的であれ、形式を持つ。これまで建築、とくに家屋を対象とした研究は、さまざまな社会において家屋の持つ意味をあきらかにしてきたが、そのさいに焦点となったのはこの形式である。形式にどのような意味が込められているか。転じて、家屋がいかにさまざまな事象と結びついているか、家屋という物質からどのような意味が読み取れるか。これをもっとも深いところまで掘り下げたのが、家屋の象徴分析であった。もちろん象徴分析は、家屋そのものだけを対象としない。家屋以外の事象が家屋においていかに統合されるかが示された。さらに、人びとはそうした家屋を手がかりにしていかに社会を組織しているかが議論されたのだった。家屋そのものの分析だけからでは到達し得ない人と家屋との深い関係を、そうした分析はつぎつぎと私たちの前に提示していった。しかし、そうした分析の多くで家屋と人の関係は固定的に記述された。そして、人びとが生きる社会の現実と家屋の静態的、固定的なイメージは、どうにも折り合いがつかないことが次第に指摘されるようになっていった。家屋分析は、そうした背景もあって次第に表舞台から消えていった。


ところが、こうした研究動向とは関係なく、一度フィールドに出てしまえば、フィールドワークをおこなう私の目の前に、家屋は厳然としてある。このジレンマはいかに乗り越えられるだろうか。家屋が変化するとは、考えてみればきわめて当然のことである。しかし、これまで、この当たり前のことが直視されることはなかった。家屋の形式が人びとを縛るのではない。むしろ形式があるからこそ家屋は変化し、人びとも変化する。あらためてそう考えることから、家屋の形式が変化するとき、人びとはどのように立ち振る舞うのだろうかという問題へつなげることができるのではないだろうか。

(中略)

家屋は、個人が知覚し、構築する日常的な風景の一部としてある。私たちは、家屋において、生まれたときから家族と呼ばれる人びとと空間を共有し、生活をともにする。特別に意識しなくても、家屋において日々の暮らしは成り立つ。ましてや、家屋がなくなることなど想像できないし、する必要もない。いっぽう、北タイの山地で暮らすアカにとって、家屋はそれほど当たり前に存在するものではなかった。アカには、タイに越境した当初から、常に「強制退去」という政治的な力が降りかかる可能性がついてまわった。アカが暮らしを展開した山地は、そもそも国家のものだったからである。家屋を建設することが幸運にもできたとしても、その土地の所有者とされる超自然的存在に土地を使う許可を求めなければならない。それには周到な準備とおこないが必要である。周囲の森林には、人びとに災厄をもたらす霊的存在がいる。森林に生えている木は、そのままでは、人の住む領域である村の中に持ち込むことはできないし、建築材料に加工することもできない。家屋をつくるには、人が使えるようするために部材に儀礼的細工を施さなければならない。家屋が建ちあがった後は、その内部で集団としてどのように生きていくかが人びとの意識の焦点となる。子孫を残さなければ家屋は倒壊し、自身も祖先の一端に加わることができなくなってしまうからである。かくして、集団を維持するために、さまざまな方法が注意深く取られることになる。


家屋の建設は、人びとが「生きる」ことを意図してはじめられる。そして、家屋を維持するための終わりのない過程が続けられる。それは、人びとと家屋との相互構築的な過程である。同時に、人びとには積極的に社会にかかわる契機が生ずる。本書が提示しようとこころみるのは、人びとが真に「創造的」であるための場としての家屋なのである。


本書の構成


全体で九章から構成される本書では、物質としての家屋とアカの諸活動との多様なかかわりがとりあげられる。


第一章では、アカの中の伝統主義者ロゥチのあいだには「ロゥチの家屋」とでも呼ぶべき複合的モデルが共有されているという当面の仮説を設定し、それを踏まえた本書の目的を述べる。つぎに、家屋に関する先行研究を検討し、本書の視座を述べる。その後に、調査地の社会経済的背景、アカの系譜と社会集団、タイへの流入のプロセスなど、本書を理解するために必要な事項について述べる。


第二章と第三章は舞台設定に相当する。第二章では、ロゥチの村落空間について述べる。具体的には、村の外部の森林には、人に災厄をもたらす霊的存在がいると考えられていること、それゆえに村は儀礼的な構築物によって、周囲の自然環境から区別されていることをあきらかにする。第三章では、屋敷空間の組織、家屋空間の組織と家屋の力学的構造、構法などを詳細に記述する。そして、「ロゥチの家屋」モデルの空間的特徴として、内部が男女それぞれの部屋に分割されて組織されることの他に、構法的特徴としても、力学的構造、屋根や床下、壁のつくりなどに共有された形式があることをあきらかにする。


第四章では、第三章で示された家屋について、その内部空間と集団の組織との関係を考察する。はじめに、空間の実際の使用法をひとつの世帯を例にとって記述する。つぎに、ロゥチの世帯の編成について、儀礼の諸段階を経て、男性と同じ社会的役割を持つようになるヤイェアマと呼ばれる女性に着目して考察する。そして、ロゥチの世帯の理念的な様態として、男女それぞれの最年長者が、男女それぞれの部屋を儀礼的に管理していること、その男女が夫婦であること、妻がヤイェアマであることを指摘する。また、こうした世帯編成のいわば理想化は、妻がヤイェアマである夫婦のみが死後に祖先としてまつられることと関係することをあきらかにする。最後に、こうした世帯の理想イメージが「ロゥチの家屋」であるために重要なことをあきらかにする。


第五章では、第四章の議論を受けて、家屋空間に立ち返る。そして、家屋空間の組織がどのような意味作用を持つのかを探る。ここでの考察の中心は、内部空間を男女それぞれの部屋に分けるというロゥチに特徴的な現象である。ロゥチにおいて、なぜこのような家屋空間が組織されるのか、それは世帯の編成とどのように関連するのかを、霊的存在との濃密な関係が語られる神話における家屋のイメージから考察する。そして、現在でも、人と霊的存在が相互補完的に存在していること、それがロゥチの生活世界が組織される鍵になること、神話に表象される家屋のイメージは、「家屋」モデルをロゥチ自身が空間的・集団的に理解するために重要であることを指摘する。


第六章では、第五章までの議論を受けて、ある家屋を「ロゥチの家屋」たらしめる源泉としての祖霊や自然界の霊などの超自然的存在について考察する。ロゥチのあいだでは、この両者はそれぞれに異なるカテゴリーに分類されており、いずれも家屋を含めた居住空間の様態を理解するうえで多くのことを示唆する。ここでは、祖霊についてはその加護を引き出すために、自然界の霊については祖霊との関係において、ロゥチはそれぞれと共存しなければならないことを述べる。そして、この両者の存在が、ロゥチが家屋を空間的、人的に組織するための鍵になることを述べる。


第七章では、視点を変えてザンサンホと呼ばれる慣習的知識とそのおこないからみた家屋とロゥチの関係を考察する。はじめに、過去の研究における議論を踏まえてザンサンホを位置づける。つぎに、ロゥチにおけるザンサンホの重要性を、村レベルのザンサンホの実際のおこないからあきらかにする。さらに、家屋に関係するザンサンホを、実際の事例からみてゆく。そして、この事例分析から、ロゥチ自身もザンサンホを完全に把握したり予期したりできないことをあきらかにする。さらに、家屋に関するザンサンホについての解釈の相違という事例から、家屋とそこに住むロゥチが多様に解釈されることをあきらかにする。


第八章では、第七章の議論を一歩すすめて、キリスト教徒とその家屋の事例から、家屋と人の両者が揺れ動く様態を究明する。ここでは、キリスト教徒のあいだでは、祖先やザンサンホが批判的にとらえられていることをあきらかにし、また、キリスト教徒の家屋では、ロゥチとは異なる形式がみられるようになることを具体的な事例から示す。
第九章では、第八章までを踏まえた結論として、「ロゥチの家屋」がそれを解釈するロゥチの置かれた状況によって変化することを示し、最終的に人と家屋との相互構築関係という視点を提示する。



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著者紹介
清水 郁郎(しみず いくろう)
1966年新潟県上越市出身。芝浦工業大学大学院工学研究科建設工学専攻修了。「さくらプロジェクト」(タイ国チェンライ県)。総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻修了。国立民族学博物館講師(中核的研究機関研究員)、総合地球環境学研究所技術補佐員などを経て、現在、国立民族学博物館外来研究員。修士(工学)、博士(文学)。
研究対象は建築、とくに住まいと人の関係。研究分野を横断してさまざまな語り口を駆使することを目指す。タイとラオスで調査を続けている他に、日本において小屋、集住、住まいの中のモノと人びとの記憶などの問題系を扱う。
著書・論文に『世界住居誌』(共著、昭和堂、近刊)、「家屋に埋め込まれた歴史」(『日本建築学会計画系論文集』2004年)他。

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