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モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 2

内モンゴル人民革命党粛清事件

モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 2

内モンゴル自治区の文革一次資料を解説影印。中ソ対立や中蒙対立への対応で、内モンゴル人民革命党員とされ大量粛清された事件。

著者 楊 海英
ジャンル 書誌・資料・写真集
出版年月日 2010/02/07
ISBN 9784894898820
判型・ページ数 A4・820ページ
定価 本体18,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第一部 内モンゴル人民革命党粛清運動

 1 既往研究にみる内モンゴル人民革命党粛清事件とその性質
 2 内モンゴル人民革命党粛清運動の資料解題
 3 第一次資料が語るモンゴル人ジェノサイドの性質
 4 「徹底粉砕反動民族主義的堡塁 内蒙古人民革命党」解題( ボルジギン・フスレ)
  参考文献
  本書所収資料の出典

第二部 内モンゴル人民革命党粛清運動資料群

 資料一 中国政府からの大量虐殺指示と漢人大衆の呼応(46点)
 資料二 大量虐殺後の政府政策と矛先の転換(48点)
 資料三 大量虐殺に利用された歴史=歪曲された民族自決の歴史(13点)
 資料四 限定的な「名誉回復」と未解決の民族問題(19点)
 
あとがき

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内容説明

本書は内モンゴル自治区でおこなわれた中国文化大革命に関する第一次資料を解説し、影印したもので、文革中の内モンゴルにおいて、中ソ対立やそれに連動する中蒙対立への対応として、内モンゴル人民革命党員とされる人たちが大量粛清された事件を取り扱う。


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あとがきより


以上、内モンゴル自治区で発動された中国文化大革命運動中のモンゴル人大量虐殺事件=内モンゴル人民革命党粛清事件について、中国内外の研究成果を検討した上で、本書所収の126点の第一次資料の性質を簡単に解説してきた。最後に、このような第一次資料群を概観した時に得られる学術的な見解を編者なりに示しておきたい。


虐殺の発動も、善後措置も漢族による統治を維持するのが目的


まず、従来の諸研究を総括したところ、以下の点を指摘しておきたい。


内モンゴル自治区で発生したモンゴル人大量虐殺事件には当時の国際情勢が反映されている。中ソ対立とその一環として連動していた中蒙対立に対応する為に、内モンゴル人民革命党員とされる人たちが粛清された。勿論、これには1950年代後半から激化した社会主義東欧諸国の動揺に対する中国の危機感も絡んでいる。国際情勢と連動して発生したチベット人の蜂起とダライ・ラマ法王の亡命、それに続く新疆ウイグル自治区内のウイグル人とカザフ人のソ連への集団逃亡など、すべて中華人民共和国の体制を根幹から揺るがす出来事だった。修正主義国家の軍隊が北から侵略してきた時の対応を中国指導部は真剣に考えなければならなかった。


北京の北口玄関の住民は決して信用できる人々ではなかった。彼らには二つの「前科」に加えて一つの「現行犯」があって、中国の漢人指導者たちを安心させなかった。過去に対日協力した歴史と、日本統治が消えた後に「対日協力者」らを中心に展開されたモンゴル人民共和国との統一合併運動である。モンゴル人の二つの「前科」は、「抗日」と「国家統一」を至上命題とする漢人共産主義者たちにとっては、決して受け入れられることではなかった。再清算の対象とされるのはもはや時間の問題だった。それはまた、間接的ではあるが、日本の殖民地支配に対する再清算でもあったことを強調しておきたい。そして、中国共産党側の「抗日」陣営に身を置き、モンゴル人民共和国との統一合併よりも中国領内での区域自治の実現に尽力した延安派の指導者たちも何と対日協力者たちを温存させているし、文明人の漢族が進める農耕化政策にも不熱心である事実は、忠誠心のない「異民族の現行犯」として映った。上記のような三つの事実から見ると、モンゴル人大量虐殺は、まずモンゴル族の民族自決運動に対する否定であり、そして同時にまた日本による殖民地経営に対する清算でもある。どちらも中国に組み込まれ、「中国人」とされた以上はもはや宿命的な最期だとしか言いようがない。


大量虐殺という形で再清算されたモンゴル人たち(と日本の殖民地経営)であるが、その善後政策もまた終始、当初の虐殺発動の目的を軸に進められてきた。内モンゴル自治区を分割してモンゴル人たちを「分けて統治した」政策は「戦争になる感じがしてならない」という毛澤東らの対修正主義国家との一戦に備えるという大義名分の下で実施された事実がそれを雄弁している。このように、モンゴル人大量虐殺は、殺戮開始から殺害後の善後処理まで、一貫して漢族中心の国家統治を維持する為に推進されたものである。


民族自決とほど遠い中国の少数民族政策、そして虐殺再来の危険性


資料一の「政府からの大量虐殺の指示と漢人大衆の呼応」は、あらゆる暴力と血腥い殺戮行為などすべてが中国共産党政府の指示と動員、そして、それらの政府行為に積極的に応えた漢人大衆がもたらした結果である事実が示されている。虐殺後にモンゴル人たちの不平と不満をみごとに同胞たちの国に向かわせた陰謀の作成と実施過程を知る材料は資料二の「大量虐殺後の政府政策と矛先の転換」内にある。不平と不満があれば、「ソ連に陳情に行きなさい」とか、虐殺を指揮した「滕海清は政策的な間違いを犯しただけだ」とか、「恨みをウラーンフーに向けるべきだ」とかのような高圧的で、ゴロツキ流の対応はあらためて被害者の傷口に塩を擦るような行為で、民族問題を真摯に解決しようという姿勢は中国政府の責任ある高官たちにまったく見られない。


中国共産党政府が執るゴロツキ流の圧制の源流は、他民族が求めてきた民族自決(と日本の殖民地経営)を民族分裂主義行為と見なす点にある。漢族を支配者とする中国の統一を至上の命題とし、それを西欧列強からの自立だと位置づけながら、同様に漢族の過酷な殖民地支配からの解放と離脱を目指す運動を封殺するという矛盾点に現代中華人民共和国が抱える民族問題の本質的な原因がある。漢人共産主義者たちは、漢族の自立と殖民地からの解放を実現させたものの、支配下の少数民族を引き続き自らの搾取と圧制下に強制的に置いている事実には無関心である。こうした民族問題の本質な原因を研究する上で欠かせない材料が、資料三の「大量虐殺に利用された歴史=歪曲された民族自決の歴史」である。


中国政府は陰謀に基づいて日本の殖民地経営に「協力」したモンゴル人たちと彼らが殖民地崩壊後に追い求めた民族自決の歴史を再清算したが、今日に至るまでの民族政策もまた謀略と暴力に満ちたものである。資料四の「限定的な〈名誉回復〉と未解決の民族問題」は私たちモンゴル人が置かれている厳しい現実を示している。中国政府が公布した資料群を検討していると、中国の対少数民族政策には人道主義と民族間平等の原理などが如何に欠如しているかがあらためてリアルに浮上してくる。それは、民族自決とは程遠い現実が漢族支配下の国家で継続している現実でもある。たとえある国民国家内部においても、真の平等と自決が実現されない限り、民族問題はいつ勃発しても不思議ではない。そして、漢族が少数民族の正当な自治要求を分裂主義的だといつでも解釈しうる状況が続く中で、大量虐殺は再び発動される危険性は常に存在していることを最後に付加して、虐殺を生き残った側の見解としておきたい。

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編者紹介
楊海英(Yang Haiying)
日本国静岡大学人文学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書
『草原と馬とモンゴル人』日本放送出版協会、2001年。
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』風響社、2004年。
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』平凡社、2005年。
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』風響社、2007年。
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』風響社、2008年。
主な編著書
『《金書》研究への序説』国立民族学博物館、1998年。
Manuscripts from Private Collections in Ordus, Mongolia I, Mongolian Culture Studies I, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2000, Ko¨ln, Germany.
Manuscripts from Private Collections in Ordus,Mongolia II, Mongolian Culture Studies II, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2001, Ko¨ln, Germany.
『オルドス・モンゴル族オーノス氏の写本コレクション』国立民族学博物館、2002年。
『ランタブ―チベット・モンゴル医学古典名著』大学教育出版、2002年。
Subud Erike: A Mongolian Chronicle of 1835. Mongolian Culture Studies VI, International Society for the Study of the Culture and Economy of the Ordos Mongols (OMS e.V.), 2003, Ko¨ln, Germany.
『内モンゴル自治区フフホト市シレート・ジョー寺の古文書』風響社、2006年。
『蒙古源流―内モンゴル自治区オルドス市档案館所蔵の二種類の写本』風響社、2007年。

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