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香港社会の人類学

総括と展望

香港社会の人類学

返還を機に、香港社会とその人類学研究の双方を再検討、歴史的変動の「未来都市・香港」とそこに住む人々の生き方を読み解く。

著者 瀬川 昌久
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 1997/05/25
ISBN 9784938718336
判型・ページ数 A5・295ページ
定価 本体4,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次


香港地図

      ●第一部 香港新界研究の軌跡と新たな展開

 第一章 香港新界の宗族村落──生きた化石における伝統の再生 (瀬川昌久)

   一 はじめに
   二 親族研究のパラダイムと新界の宗族の研究
   三 香港社会の特殊性と新界の宗族村落
   四 おわりに

 第二章 遅れてきた革命──香港新界女子相続権をめぐる「秩序の場」について (深尾葉子)

   一 はじめに
   二 「女子相続権問題」の発端と展開の経緯
   三 女子相続権をめぐるディスコース
   四 香港をとりまく空間秩序の変化と行為者のゆらぎ
   五 おわりに

第三章 香港の離島コミュニティーに見られる都市性
      ──長洲島・太平清ショウの祭祀集団 (中生勝美)

   一 問題の所在
   二 長洲島の概況
   三 祭祀空間と儀礼過程
   四 祭祀集団の重層構造
   五 伝統の創造
   六 おわりに

      ●第二部 香港都市社会研究の現在

 第四章 香港都市社会研究の展開と課題──人類学と社会学の分業を越えて (大橋健一)

   一 はじめに
   二 香港における社会研究の展開
   三 都市社会としての香港研究における問題点
   四 都市社会としての香港研究への課題
   五 おわりに

第五章 公共住宅・慈善団体・地域アイデンティティー
      ──戦後香港における社会変化の一面 (芹澤知広)

   一 香港の地域と歴史をめぐる人類学の「伝統的」視線
   二 「新界」の発展と慈善活動の「大衆化」
   三 「屋邨」からの眺め
   四 今日の香港をめぐる地域アイデンティティー

第六章 都市社会香港における葬儀の担い手の変化
      ──『喃嘸ロウ』から『経生』へ (志賀市子)

   一 はじめに
   二 香港都市部の葬儀
   三 道壇の葬送関連事業への参入とその背景
   四 「経生」と「喃嘸ロウ」──差異化のレトリック
   五 経生の定着と死をめぐる社会状況の変化
   六 おわりに

      ●第三部 国際都市のエスニシティー

第七章 香港人であることと中国人であることと
      ──香港の社会変動とアイデンティティー (日野みどり)

   一 序論
   二 歴史的経緯と香港研究の回顧
   三 香港アイデンティティーを構成するもの
   四 香港アイデンティティーの問題点──「中国性」をめぐって
   五 「香港人」か「中国人」か?──今後の課題

 第八章 香港のインド人企業家──歴史と現状の予備調査報告 (沼崎一郎)

   一 はじめに
   二 インド人企業家の歴史
   三 インド人企業家の現状
   四 おわりに

 第九章 香港の一日系スーパーマーケットの組織文化 (王 向 華)

   一 はじめに
   二 日系小売業の香港進出の歴史
   三 J社の概要
   四 社内の不公平を正当化するエスニシティー
   五 エスニシティー=社会分化の原則
   六 エスニシティー分化における日本人社員と現地社員の不平等の再生産
   七 日本人派遣社員との関係──現地社員間の競争の焦点
   八 自己の表現
   九 結論

  後書き
  索引

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内容説明

返還を機に、香港社会とその人類学研究の双方を再検討し、歴史的変動のさなかにある「未来都市・香港」とそこに住む人々の新たな生き方を読み解く。練達のフィールドワーカー達によるミクロコスモスの饗宴。


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序 瀬川昌久


九七──広東語で「ガウチャッ」──この、一見何の変哲もない数字が、香港の人々にとっては長い間特別な意味をもつ数字として存在し続けてきた。言うまでもなく、一九九七年の中国返還の年を意味する数字である。その一九九七年がついに訪れ、六〇〇万香港住民は、それぞれの思いで七月一日の「その時」を迎えようとしている。


香港は、世界地図上では一つの「点」でしか表されない小さな場所ではあるが、地球上から次々と「植民地」という帝国主義の残滓が消え失せてゆく中、これだけの人口を有し、しかもこれだけの経済的繁栄を誇る一地域が、アジアの真ん中に英国植民地として維持されてきた意味は大きい。そしてそれが「返還」されることは、まさに二〇世紀の終わりを象徴的に締めくくるにふさわしい世界史上の一大イベントである。


当然のようにこの一大イベントはマスコミ、ジャーナリズムの関心の的である。九七年が近づくにつれて、連日のように返還の歴史的経緯やその政治的意味、経済的影響などが報じられ、香港問題に知識の深い専門家たちがテレビや新聞に露出する機会も一段と多くなった。さらには、政治や経済のみではなく、香港住民の日常生活や、返還を迎えての心境なども盛んに取り上げられている。だが、マスコミのこうした「香港熱」も、所詮は一過性のものと考えられる。返還に関連する諸行事が一段落した後は、予期せぬ社会的混乱でも生じない限り(筆者はそのような混乱が生じないことを切に祈るものであるが)、おそらくは香港の話題も次第に人々の意識から遠ざかってゆくであろう。


しかしながら、そうした一過性の話題の渦とは別に、香港は人類の社会・文化の研究にとって極めて重要な意味をもっており、それは返還というエポックを超えて、さらにその重要性を増してゆくものと考えられる。とりわけ、人類の社会・文化のヴァリエーションと普遍性を分析・考察の対象とする文化人類学という学問にとって、香港は何重もの意味において特殊な社会であり、それゆえ限りなく魅力的なフィールドである。そこで、この九七年香港返還という区切りの時を契機として、われわれ香港社会をフィールドとする文化人類学者が集い、これまでの香港社会についての研究を総括し、かつこれからなされるべき研究の方向を展望する試みを行おうと考えた。


その企画はまず、一九九五年一〇月に千葉大学において行われた第四九回日本人類学会・日本民族学会連合大会において、「香港研究の人類学への貢献」と題する分科会を行うことから始まった。同分科会では、香港社会の人類学的・社会学的研究のレビューならびに現在進行中の現代都市社会についての先端的研究の実例が報告され、コメンテイターによるコメント、会場からの質問・意見を交えた有益な議論が展開された。その後、この分科会の成果を受けて、分科会発表者とコメンテイター、それに当日のフロアーからの発言者を加えた九名が、さらに論点を深めて論文の執筆を行うことになった。そして九七年春を目指して出版準備を進め、九六年一〇月には、全員の参加こそならなかったがワークショップを開催し、互いの論考についての批判と評価とを行った。このようにして結実したのが本著である。


本著は三部より構成される。すなわち、第一部「香港新界研究の軌跡と新たな展開」では、文化人類学におけるこれまでの香港新界研究の背景と、新たな研究展開の可能性を探ってゆく。香港の中では郊外部分に当たる新界地区は、「伝統的」華南農漁村の保存された場所として、人類学者の関心を呼び続けてきた。とりわけ、二〇世紀半ばの親族研究のパラダイムの中では脚光を浴びるところとなり、欧米の人類学者が多数ここをフィールドとしている。本著第一部は、こうした従来の新界社会研究を相対化し、新界を舞台とした新たな研究への展望を開こうとするものである。


次いで第二部「香港都市社会研究の現在」は、香港住民の大部分が暮らす都市社会に焦点を当てる。戦後、急速に膨張を遂げた香港都市社会は、それが極めて短時間で成し遂げた発展の高度さにおいても、また政治経済制度を異にする中国という巨大な後背地に対する窓口としての位置づけにおいても、さらには中国の伝統文化と西洋の文化との直接的な出会いの場であるという点でも、極めてユニークな都市である。したがってそれは、人類社会の研究にとって重要な実験場の一つとしての意味をもっている。こうした香港都市社会の研究史の展望と先端的な研究例の提示を行うことが、この第二部の目的である。


そして第三部「国際都市のエスニシティー」では、香港に暮らす多様なエスニックグループとその相互関係や自己意識の動態に着目する。香港はその急激な成長の中で、多くの人々が来住する移民社会としての性格を顕著にもってきた。その大部分を占める中国系の人々が、国際都市・香港という特殊な場の上にどのようなアイデンティティーを確立しつつあるのか、また、そこに暮らす中国系以外のマイノリティーがいかなる実態をもち、どのように香港社会の中に自らの居場所を確保しているかを示そうとするのが、第三部である。


各章ごとに個別にその内容を概観すれば、まず第一部第一章「香港新界の宗族村落──生きた化石における伝統の再生」(瀬川昌久)は、香港新界における過去の宗族研究を振り返り、その社会人類学史上の意味を跡づけるとともに、新界の村落における「伝統」の再生の問題を検討する。


続く第二章「遅れてきた革命──香港新界女子相続権をめぐる『秩序の場』について」(深尾葉子)は、近年生じた香港新界における「女子相続権問題」を契機として、新界の旧住民たちの伝統的社会組織とされてきた宗族が、現代的文脈の中でどのような意味づけをもつに至ったかについて、新聞、出版物等の言説をもとに分析する。


また、第三章「香港の離島コミュニティーに見られる都市性──長洲島・太平清ショウの祭祀集団」(中生勝美)は、香港新界の離島である長洲島の太平清ショウ儀礼を題材とし、独自のフィールドデータをも交えながら、都市化の影響の中での離島社会の変化と伝統祭祀の新たな意味づけについて分析する。


第二部に入り、第四章「香港都市社会研究の展開と課題──人類学と社会学の分業を越えて」(大橋健一)は、香港都市研究の現在までの流れを、膨大な文献リストを基に概観しつつ、都市社会・香港への学問的アプローチに内在する問題点を明らかにし、さらに人類学と社会学の接点や、共通の文脈としての香港都市社会の質的解明の必要性について論じる。


続く第五章「公共住宅・慈善団体・地域アイデンティティー──戦後香港における社会変化の一面」(芹澤知広)は、これまでの香港の人類学的研究のもつ視座を批判的に再考した上で、新興都市の公共住宅における慈善団体の募金キャンペーンを題材とした独自の調査データを基に、今日の香港における「地域」というものの変化と、人々のアイデンティティーのあり方についての新たな研究例を提示する。


第六章「都市社会香港における葬儀の担い手の変化──『喃嘸ロウ』から『経生』へ」(志賀市子)は、香港都市部の葬儀の担い手に関する独自の調査データを基に、香港都市社会において民俗宗教にいかなる新現象が生じつつあるか、そしてそうした現象がどのような意味づけをなされながら定着しつつあるのかについて、最新の研究例を提示する。


第三部に入ると、第七章「香港人であることと中国人であることと──香港の社会変動とアイデンティティー」(日野みどり)は、香港の中国系住民における「中国人」あるいは「香港人」としてのアイデンティティーの動態を、とりわけ返還を目前にした近年の状況を中心に、独自のアンケート調査や出版物等の言説の分析から解明する。


第八章「香港のインド人企業家──歴史と現状の予備調査報告」(沼崎一郎)は、香港在住の非中国系のグループの一つ、インド人に焦点を当て、その歴史と現状を独自の調査データに立脚して紹介し、ともすれば中国人(漢族)だけの「単一民族社会」として見なされがちな香港社会の、国際都市としての別個な一面を明らかにする。


そして第九章「香港の一日系スーパーマーケットの組織文化」(王向華)は、香港の日系スーパーマーケットの日本人社員という特殊なマイノリティー・グループに着目し、実地調査データをもとに香港人社員との関係や職場内でのエスニックな境界維持のメカニズムについて分析する。


ここに掲げられた研究は、いずれも若手から中堅世代の研究者によるものであり、円熟したもの、完成度の高いものというよりは、フィールドワークのただ中において素手で掘り出したホットな素材と、それに基づく率直な問題提起からなっている。すなわち、香港社会の「今」を研究する若手研究者たちが、それぞれの視点から従来の研究史を総括し、今後の研究への展望を明らかにしようとするものである。本著を通じて、より多くの人々に香港社会の魅力と学問的研究価値を理解してもらえるならば、執筆者一同にとってそれに勝る喜びはない。


なお、本文中に登場する広東語のルビについては、必ずしも各章間で統一を図っていない。広東語ルビ表記に一定の統一規格が存在するわけではなく、ここでは各自がそのフィールドワークの中でそれぞれ習得した広東語音の感覚を尊重することとした。

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執筆者紹介
王向華(おう・こうか)
1963年香港生まれ。香港大学日本研究学科助教授。
専攻:社会人類学。
主要論文にAnthropological Study of a Japanese Supermarket in Hong Kong(1996年、オックスフォード大学・博士論文)、「中国人の婚姻の特質」(『民族学研究』60巻2号、1995年)など。

大橋健一(おおはし・けんいち)
1961年東京都生まれ。兵庫教育大学社会系教育講座助教授。
専攻:都市社会学、都市人類学。
共編著に『城市接触──香港街頭文化観察』(1989年、香港商務印書舘)、論文に「『飲茶』の社会文化機能に関する研究──香港街頭文化の一断面」(日本生活学会編『生活学一九九三』、1993年、ドメス出版)など。

志賀市子(しが・いちこ)
1963年東京都生まれ。滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科助手。
専攻:民俗学、文化人類学。
主要論文に「香港の道壇──近代民衆道教の一形態として」(1995年、『東方宗教』第85号)、『「道壇」の歴史民俗学的研究──近代香港・広東地域における扶~GAJFC431~信仰と道教』(1997年、筑波大学・博士論文)など。

瀬川昌久(せがわ・まさひさ)
1957年岩手県花巻市生まれ。東北大学東北アジア研究センター教授(同大学院国際文化研究科教授兼任)。
専攻:文化人類学。
主要著書に『客家──華南漢族のエスニシティーとその境界』(1993年、風響社)、『族譜──華南漢族の宗族・風水・移住』(1996年、風響社)など。

芹澤知広(せりざわ・さとひろ)
1966年奈良県生まれ。奈良大学社会学部専任講師。
専攻:文化人類学。
主要論文に「香港社会における慈善のかたち─~FRSP-10~─都市と農村との連続性に関する人類学的考察」(森栗茂一編『都市人の発見』、1993年、木耳社)、「慈善団体から見た華南地域の統合──近年のマカオの事例を中心に」(『年報人間科学』18号、1997年、大阪大学人間科学部)など。

中生勝美(なかお・かつみ)
1956年広島県安芸郡生まれ。和光大学人間関係学部助教授。
専攻:社会人類学。
主要著書に『中国農村の権力構造と社会変化』(1990年、アジア政経学会)、『広東語自遊自在』(1992年、日本交通公社)など。

沼崎一郎(ぬまざき・いちろう)
1958年仙台市生まれ。東北大学文学部助教授。
専攻:文化人類学、東アジア経済論。
主要論文に「台南幇」(『アジア経済』33巻7号、1992年)、「台湾における『老板』的企業発展」(服部民夫・佐藤幸人編『韓国・台湾の発展メカニズム』、1996年、アジア経済研究所)など。

日野みどり(ひの・みどり)
1962年札幌市生まれ。兵庫県立看護大学非常勤講師。
専攻:文化人類学、中国研究。
主要論文にMigrant Intellectuals in an Emerging South China City : Local Ethnic Relations in Foshan(1996年、香港中文大学・修士論文)など。

深尾葉子(ふかお・ようこ)
1963年大阪府高槻市生まれ。大阪外国語大学助教授。
専攻:地域研究、中国社会論。
共編著に『現代中国の底流──痛みのなかの近代化』(1991年、行路社)、論文に「黄土高原の景観と人々」(『現代思想』Vol.20-9、1992年、青土社)など。

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