ホーム > 文化遺産の保存と国際協力

文化遺産の保存と国際協力

文化遺産の保存と国際協力

国際社会が、民族や宗教、開発や環境という課題の中で育んだ保存の理念。アジアと欧米の文化観の相違、日本の国際貢献など。

著者 河野 靖
ジャンル 文化遺産・観光・建築
出版年月日 1995/06/10
ISBN 9784938718541
判型・ページ数 A5・720ページ
定価 本体15,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
国際機関・団体の名称と略称 

第一章 文化遺産の定義と保存 

 一 文化財の定義 
 二 文化遺産の定義 
 三 文化の定義 
 四 近代化と文化遺産 
 五 文化遺産保存のための国際協力──その出発点 

第二章 文化遺産保存のための地域協力──アジア 

 一 東南アジア文部大臣機構 
 二 東南アジア諸国連合 
 三 南アジア地域協力連合 

第三章 文化遺産保存のための地域協力──ヨーロッパ 

 一 欧州会議 
 二 欧州共同体(EC) 

第四章 ユネスコの文化遺産保存事業 

 一 事業の発端(一九四六~一九五〇年)
 二 事業の展開(一九五〇年代)
 三 援助基金 
 四 文化政策 
 五 無形文化遺産の保存 

第五章 文化遺産保存関係の勧告 

 一 国際共通基準の必要性 
 二 勧告 

第六章 文化遺産保存関係の条約 
 
 一 武力紛争の際の文化財の保護のための条約 
 二 文化的介入権 
 三 世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約 
 四 世界遺産条約と日本 

第七章 文化財の返還 

 一 文化財の不法な輸出、輸入及び所有権譲渡の禁止及び防止に関する条約 
 二 文化財の原所有国への返還 

第八章 文化財返還の実際 
 
 一 パルテノン神殿の彫刻(パルテノン・マーブルズ)
 二 パノンルン寺院の彫刻(ヴィシュヌ・リンテル)
 三 返還問題の先にあるもの 

第九章 ヌビア遺跡の救済 

 一 加盟国のニーズ 
 二 ヌビア遺跡救済 
 三 将来への展開──博物館建設 

第一〇章 ボロブドゥール遺跡の保存 

 一 寺院の建立、構造、意義 
 二 初期の保存活動 
 三 本格的修復事業 
 四 人材養成 
 五 研究センター 
 六 保存・発展のためのゾーン設定 
 七 イスラム教徒とボロブドゥール 
 八 修復成功の要因 
 九 信仰による遺跡の破壊 

第一一章 遺跡保存の問題点 
 
 一 遺跡救済国際キャンペーンの変質 
 二 遺跡保存と観光開発 
 三 文化と開発

第一二章 日本の貢献 
 一 出発点 
 二 国際文化協力の基本方針 
 三 技術的貢献 
 四 財政的貢献 
 五 国際協力を阻むもの 
 六 文化の保存発展総合戦略 

 おわりに 

 附録1 索引・資料 
  ・欧文索引 
  ・和文索引 
  ・収録写真一覧 
  ・主要参照文献 
  ・文化遺産関係年表 
 附録2 ユネスコが制定した文化遺産関係の条約 
  ・武力紛争の際の文化財の保護のための条約 
  ・世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約 
  ・文化財の不法な輸出、輸入及び所有権譲渡の禁止及び防止に関する条約 

このページのトップへ

内容説明

ユネスコや国際社会が、民族や宗教、開発や環境という現代の課題の中で育んだ保存の理念を、ボロブドゥールやヌビア遺跡等の保存救済事業の現場から考察。アジアと欧米の文化観の相違、政治や行政の役割、日本の国際貢献などを探る。


*********************************************


はじめに 河野 靖


本書の目的は、文化遺産保存のために、どのような国際協力事業が、どのような理念によって行われているか、それらの事業にあらわれた文化遺産とは何かについて、大略次のことを考えることにある。


一、文化財とは何か、文化遺産とは何か、両者はどのように違うのか
二、初期(一九四五年以前)の文化遺産保存事業の概観
三、東南アジア諸国連合(ASEAN)や欧州連合(EU)など、地域協力機構の文化活動にあらわれたアジア人とヨーロッパ人の文化観および遺産観の違い
四、ユネスコの文化遺産保存事業について
1、ユネスコは何をすべきか、何ができるか
2、保存関係の条約が現代の世界に提起する文化問題と政治的意味
3、植民地、外国から略奪、盗難、盗掘された文化財の国籍と返還問題
4、遺跡救済事業の理念、方法、その成功と失敗
五、文化遺産保存事業の現代社会における位置づけ、とくに文化と開発の関係
六、文化遺産保存国際協力にあらわれた日本人の貢献の実態と可能性


私は一九五〇年代から文部省の日本ユネスコ国内委員会事務局で働き、ついで一九六四年からパリのユネスコ本部に勤めた。ユネスコでは、はじめ東洋文化(アジア・アラブ文化)を、一九六七年以来アジア・太平洋文化を担当、一九七二年から一九七五年までの二年七ヵ月間、インドネシアのジャカルタに事務所を置き、アジア・太平洋文化全般のアドバイザーをつとめた。その後再びパリの本部で一九八三年末まで、アジア・太平洋・インド洋地域の文化の総括責任者として、研究・交流・保存の全側面にかかわってきた。ただし保存修復の具体的活動にはたずさわらなかった。


一九八四年に帰国し、以来一九九四年三月までの一〇年間上智大学アジア文化研究所に籍をおいて、研究と講義を行った。


本書はこの四〇年間の経験と見聞にもとづく部分が多い。その大要は、一九八六年~一九九三年に八回にわたって『上智アジア学』に連載したものを骨格にしているが、学生への講義の中心テーマは文化観、文化的アイデンティティであったので、それらをとり入れて大幅に書き直した。


この書き直しで、私の頭の中にはきわめて多くの問題があったが、そのうちいくつかを取り上げてみたい。


1 文化遺産の意味
文化財は、高い文化価値をもつために、公的に指定されたものである。この価値は、個人および集団の生活を精神的に豊かにするのに役立つ。


文化財は、その価値ゆえに「保存すべきもの」とされている。それ以外に、文化財には二つの働きがある。ひとつは、先祖から受けつぎ子孫へ「伝えるべきもの」ととらえられる。伝えることは、時間的なタテの連続性を確保するということである。


他は、人々が同一の価値を受け入れて、ヨコの連帯を強化するために「共有すべきもの」という意味である。


このような時間的・空間的絆を強める働きを考えると、静的な、保存される「もの」の側面を強調する立場からは、これを文化財とよび、人から人へ伝える「こと」、人間同士を結びつける「こと」という、より動的、理念的側面を重視する場合には、これを文化遺産とよぶのが適当であるように思われる。この違いは、保存する立場と公開・利用する立場の違いでもある。この区別から、文化財は具体的な個々の物件であり、文化遺産はより集合的、抽象的概念であるということができよう。


2 統合の要素としての文化遺産
現代の課題のひとつは、個人の存在を尊重しつつ、人間の集合体としての国家、国家をこえる地域、全世界などのレベルでの統合や一体化の促進である。とくに途上国においては、国民の統合は国づくりの重要な要件である。欧州連合はひとつのヨーロッパという統合体をつくる努力をし、東南アジア諸国連合やユネスコは、地域や人類の一体化意識を強めようとしている。


このような統合や一体化は、文化価値の共有によって強められる。人間はこの価値の源泉を、歴史と文化──その価値を体現する証拠品としての文化遺産に見出そうとする。


3 ヨーロッパ人とアジア人の文化遺産観
ヨーロッパ人は、キリスト教や古代ギリシア・ローマ文化を取り入れたり、開かれた大学や自由な交通などによって、共通性の高い文化をつくりあげてきた。だから彼らは、「ヨーロッパとは文化的概念である」と考える。アジアには共通の宗教や文化がゆきわたった歴史がない。ヨーロッパと比べると、「アジアとは地理的概念である」といえるだろう。ヨーロッパ人は「ヨーロッパ文化遺産」の概念、というより理念を強めようとしているのに対して、アジア人はそういう概念や理念には、あまり関心を示さない。


4 アメリカとヨーロッパの違い
ヨーロッパ人のエリート的文化に対して、現代の大衆文化はアメリカ人がつくりだしたものである。その意味では、ヨーロッパはアメリカに対して途上地域であるといえよう。アメリカ製品は、映画、テレビ番組、ジーンズ、コカコーラなどの商品、すなわち「もの」としてヨーロッパへ流入し、ヨーロッパ人はそれらを見たり使ったりすることによって、アメリカ的生活様式という「こと」を受け入れ、アメリカナイズされていく。文化財の立場からみれば、ものは有形的、ことは無形的である。エリート的文化遺産をもつことにおいて先進的であるヨーロッパは、大衆文化の創造と消費においては、アメリカにおくれをとっているといえよう。


5 開発と文化遺産
アジアの近代化は欧米のモデルによって行われたために、近代化とアジアの伝統は矛盾・対立をもたらしたとされた。この考え方を克服して、近代化(開発)と文化遺産は、対立ではなく相互補強関係にあるべきことを主張したのはユネスコである。それが国連の第二次開発の十年(一九七〇年代)のスローガンになった「内発的開発」である。途上国の実情に合った適正規模で持続可能な開発のためには、途上国の文化をとり入れねばならないという主張である。すなわち、自国の文化遺産を確認し、発展させて、開発計画に文化的要素を注入することの必要性が強調されたのである。


6 遺跡の修復保存の目的
ユネスコの文化遺産保存事業は、当初は技術的保存を主としていたが、次第に各国民の文化的独立や人間的発展のためという目的が強調されるようになった。この事業の代表的なものが大規模遺跡の修復である。途上国は修復技術や資金をまかなえないので、国際的援助を求めた。ユネスコは、高い価値あるものは「人類共通の遺産」であるとの理念をかかげて、国際的連帯・協力をよびかけた。


その成功にもとづいて、ユネスコは「世界遺産」という概念とその保存システムをつくった。「共通」の遺産から「共有」の遺産への一歩がふみだされたのである。しかしこの共有理念は、武力紛争によって文化財が破壊されるのを防ぐために、所有国に警告するだけでなく、ユネスコと国連が介入する危険性をも明らかにした。


国連は、外貨収入を増加するために、修復された遺跡を観光に利用すべきことを主張し、ユネスコは、遺跡の公開は文化の理解に役立つとして、遺跡中心の観光を支援している。しかしこの観光開発は、経済的目的のために、かえって遺跡とその環境を破壊する危険を内包している。文化遺産保存の面を軽視して、利用の面を過度に強調することは危険である。


7 歴史の再構築
国民の文化的統合のためには、遺跡だけではなく、美術品などの有形可動文化財をも保護し、国民に公開しなければならない。植民地時代に多くの文化財が途上国から流出した。途上国はそれを返してもらって、断絶し、ゆがめられた歴史と文化を再構築しようとしている。この返還交渉を仲介するために、ユネスコは政府間委員会を設置した。これは途上国の政治的独立につぐ、文化的独立のための支援システムの一部である。


しかし返還交渉のためには、流出文化財を特定する証拠記録の提示や、返還後の保存・公開のための博物館の整備が不可欠である。


8 人材養成
途上国は文化遺産の研究、修復、保存、公開など、多くの分野で、技術的、行政的、法制的、教育的、財政的問題に直面している。内発的発展とは自助努力の意味で、何よりも技術者や行政官の養成が求められている。東南アジア諸国は、地域協力による研修事業を行っている。そこでは保存技術に重点がおかれており、他地域の一部途上国が理念的側面を強調しすぎて、技術面をおろそかにしていることに比べて、賢明な方針であると思われる。ただ、東南アジアでも、市民社会の発展にともなって、なぜ保存するかという哲学・理念を国民に説明する必要が大きくなりつつある。


9 日本の役割
日本は文化財保護の先進国であるが、国際協力には消極的であった。それが一九八〇年代末ころから積極的になってきた。今や日本人は、文化財保護を含めて、国際文化協力に高い優先順位を与えることで国民的合意に達している。協力能力をそなえた日本人を養成し、協力システムをつくり、諸外国の養成にこたえるべき時がきている。


以上に述べたことは、本書で取り上げた文化遺産保存とそのための国際協力問題のごく一部にすぎない。私はこれらの問題を、文化の哲学、政策、具体活動の視点から、国家、地域、世界の次元から、また先進国と途上国の立場から考察しようとした。それに関連して、技術的細部にもふれた。しかし個々の問題を深く分析することはしなかった。むしろ、私の意図は、幅広い比較文明論的視点から問題提起することにあった。読者の方々が、提起された個々の問題をより深く考察するために、本書が参考になれば幸いである。

*********************************************


著者紹介
河野 靖(こうの やすし)
1923年、山梨県生まれ。
東亜同文書院大学(上海)および京都大学法学部卒業後、ユネスコ活動のために1949年文部省入省。
1964~1983年、ユネスコ本部文化局へ勤務。東西文化交流、文化研究、アジア太平洋地域文化アドバイザー(1972~1975年)を経て、アジア文化課長として、アジア、太平洋、インド洋地域の文化を総括。
1984~1994年、上智大学アジア文化研究所客員研究員、その間非常勤講師。
共編著の主なものに、『Cultural Heritage in Asia (1)-(7)』(1985~1992年、1はジャパン・タイムズ社、2以降は上智大学アジア文化研究所発行)、『カンボジアの文化復興』(1)~(6)(1988~1992年、上智大学アジア文化研究所)など。

このページのトップへ