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台湾原住民研究 5

台湾原住民研究 5

漢化と近代化の波に呑まれ、消失・変容しつつある多様なその文化を考究。特集・馬淵東一先生墓参、論文・資料・報告・エッセイ等。

著者 日本順益台湾原住民研究会
ジャンル 定期刊行物
シリーズ 雑誌 > 台湾原住民研究
出版年月日 2001/03/31
ISBN 9784938718695
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 本体2,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

[論文]

裏と表の民族誌──プユマに見るいくつかの事例から(蛸島 直)
台湾ブヌンの現代的婚姻──メhomeland Bununモのその後(石垣 直)
イレズミ除去と理蕃政策の浸透──タイヤル族に対するイレズミ禁止政策(2)( 山本芳美)
台湾および東南アジアにおける独楽回しと豊穣(山田仁史)
台湾アミ族のマダポノハイに対する観念──配偶者が死去した者への恐れと不浄観 (原 英子)
セデック語トダ方言における人称相関( カービー・ジョン)

[研究ノート・資料]

『認識臺灣』の台湾原住民に関する記述(笠原政治)
台湾原住民の名前に関する幾つかの覚え書き(森口恒一)
鼻の挨拶について(山田仁史)
デ・ボクレール女史について (金子えりか)
台湾原住民関係文献目録(1) (笠原政治)
鹿野忠雄著作目録補遺 (山崎柄根)

[紹介・書評]

70年の時を経た、台湾原住民の写真群(山本芳美)
台湾の貴重な文化資産の重大な発見(魏徳文)
『瀬川孝吉 台湾原住民族写真誌』に見える
    主として現地名についてのコメントおよび正誤表(土田滋)
『生蕃行脚』(宮岡真央子)
『台湾アミ族の宗教世界』(森雅文)

[特集・馬淵東一先生墓参]

馬淵東一先生の墓前に集う(笠原政治)
墓前にて馬淵東一先生を偲ぶ(松澤員子)
馬淵東一先生の想い出(金子えりか)
馬淵東一教授を偲ぶ(末成道男)
馬淵東一先生と私──ナマカバンのことなど(鈴木満男)

[彙報]

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内容説明

かつて「高砂族」と呼ばれた台湾先住諸族の研究誌。漢化と近代化の波に呑まれ、消失・変容しつつある多様なその文化を、人類学の立場から考究、紹介。特集・馬淵東一先生墓参、論文・資料・調査報告・エッセイなどを含む関連情報の拠点。


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特集・馬淵東一先生墓参
(抜粋)


馬淵東一先生の墓前に集う
笠原 政治


2000(平成12)年は、台湾原住民研究の大先達である故馬淵東一先生の十三回忌の年に当たる。この節目の年を迎えて、日本と台湾の研究者、先生ゆかりの方々、ご生前に親交のあった地元の方々、そして著作を通じて先生を敬愛する若い世代など、多数の関係者が集い、台東県の池上にある先生のお墓を訪れることになった。


台湾の盛夏がようやく過ぎ去ろうとする8月29日の午後、東部鉄路の池上車站に降り立った日本や台東県外からの20名近い参加者は、地元のアミ(阿美族)を中心とする大勢の方々に迎えられた。小さな駅舎のあちらこちらで、久闊を叙する姿、初対面の挨拶を交わす光景が見受けられた。参加者の多彩な顔ぶれは、ご生前の馬淵先生が築かれた交友関係の広さ、学問的影響の大きさを雄弁に物語っている。用意していただいた数台のワゴン車に分乗して一同が向かったのは、池上站から車で20分ほどの距離にある先生のお墓である。


よく知られているように、戦前の日本統治時代に台北帝国大学で学生生活を送られた馬淵東一先生は、卒業後も台湾で研究職に就かれ、当時「高砂族」と呼ばれていた台湾原住民の調査研究を精力的に進められた。戦後、東京都立大学など日本の大学で社会人類学の講座を担当されてからも、沖縄やインドネシアに研究地域を広げながら、台湾原住民に対する学問的関心をご逝去の直前まで持ち続けておられた。台湾研究を国際的水準にまで高めた先生のご功績については、ここであらためて贅言を費やす必要もないであろう。先生のご著作は、現在でも研究者が通過すべき最大の関門であり、頼りがいのある知識の基盤となっている。そのような生涯を送られた馬淵先生にとって、台湾は格別にご愛着の深い土地であった。研究の対象、調査地という意味合いをはるかに越えて、ご自身の中で台湾という土地が血肉化した存在にまでなっておられたに違いない。1988年1月8日、79歳で逝去された後、台東県の池上に馬淵先生のお墓がつくられた。池上は、台湾の中でもとくに思い出の深い場所だったそうである。先生のお好きだった石楠花の花に囲まれるようにして、石造りの墓碑が建てられた。地元の方々の温かいご配慮である。ご生前の馬淵先生は、アミ出身のソエル氏(大高正一、高邦光氏)という知識人と親しくお付き合いをしておられた。その弟にあたる高次雄氏のご子息、高明生さんが、今ではお墓の管理をしておられる。毎年の清明節には、高さんのご一家が欠かさずにお墓参りをしてくださっているという。


十三回忌の年を迎えて池上に集うという計画は、野林厚志氏の提案から始まった。そして、ご子息の馬淵悟氏と相談のうえ、野林氏と笠原が連名で台湾原住民研究の関係者に広く参加を呼びかけた。初めに考えていたのは、先生と直接の面識があった研究者を中心に、ごく少人数が参加する墓参であった。しかし、その考えはどうやら見当違いだったようである。呼びかけに対して、日本国内から、また台湾からも、ぜひ参加したいという申し出が相次いだ。先生のご逝去後に台湾研究を始めた若手にも、たくさんの希望者が出てきた。中には、その墓参だけのために台湾へ一時帰国するという留学生さえ現れた。嬉しい予想外れだった。墓参の期日は、何度か調整をくり返した末、最終的には8月29日と決まった。夏の調査時期と重ねれば、多くの参加者にとって便宜になるだろうと考えたのである。その頃に別の外国出張を予定しておられた末成道男先生は、一人だけ早く3月末に池上へ赴き、お墓参りをされた。他にもご都合がつかずに参加を断念した方々は何名かおられたが、結局、8月末の一日、台湾原住民研究に関係する日本人は、大半が池上の地に集結するという次第になった。ご逝去後もなお馬淵先生がいかに大きな存在であり続けているのか、はからずもこの墓参が証明することになったわけである。ただ残念なことに、墓参の主役である馬淵悟氏が、勤務先の急な用件のため一行に加われないはめになってしまった。それでも悟氏は、高さんのご一家やアミの方々への連絡から宿泊所の確保まで、実に周到な手配をしてくださった。こうして準備がすべて整い、最後まで心配の種だった台風も、幸いこの墓参に遠慮するように進路を池上方面から外してくれた。
馬淵東一先生のお墓は、池上の公墓に接する一区画、木立ちに囲まれた閑静な場所にある。ワゴン車に分乗した一同がそこに到着したとき、アスファルトの道から奥の夏草は、高さんのご厚意できれいに刈り払われていた。木陰に立てられた石造りの墓碑には、(以下略)



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執筆者紹介
蛸島 直(たこしま すなお)愛知学院大学文学部助教授
石垣 直(いしがき なおき)東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程
山本芳美(やまもと よしみ)昭和女子大学国際文化研究所客員研究員
山田仁史(やまだ ひとし)京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程
原 英子(はら えいこ)岐阜市立女子短期大学講師
カービー・ジョン(KERBY, John)東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
笠原政治(かさはら まさはる)横浜国立大学教育人間科学部教授
森口恒一(もりぐち つねかず)静岡大学人文学部教授
金子えりか(かねこ えりか)
山崎柄根(やまさき つかね)東京都立大学大学院理学研究科教授
魏 徳 文(ぎ とくぶん)南天書局有限公司社長
土田 滋(つちだ しげる)跡見女子大学非常勤講師
宮岡真央子(みやおか まおこ)東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程
森 雅文(もり まさふみ)立教大学非常勤講師
松澤員子(まつざわ かずこ)平安女学院大学現代文化学部教授
末成道男(すえなり みちお)東洋大学社会学部教授
鈴木満男(すずき みつお)元ソウル大学校法科大学外国人招聘教授

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