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パイワン伝説集

パイワン伝説集

パイワン族の村に住み、民芸の紹介や創作活動を続けた著者による、同族伝説の遺稿集。編者によって改稿されたものに、中文訳を合冊。

著者 小林 保祥
松澤 員子
ジャンル 芸能・文学
シリーズ 台湾原住民研究資料叢書
出版年月日 1998/03/30
ISBN 9784938718855
判型・ページ数 B5・254ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 品切れ・重版未定
 

目次

叢書序

    序
一   神蛇に嫁入りした娘
二   蜂のお大尽
三   くじらのおじいさん
四   孤児になった兄弟
五   ジャルトコに行った少年
六   ちまきのお弁当
七   鯉になったナニウニウ
八   なんきん虫
九   鳥になった兄弟
十   かみさんと子どもをしいたげた夫
十一  こびととカジャジュジャジュ
十二  モアカイカイを助けた赤い小鳥
十三  呪い殺された娘サバイ
十四  なまけ者の息子
十五  亀に乗って帰った男
十六  ばかなご亭主
十七  鷹に乗る首狩りの勇士
十八  食いしん坊のおかみさん
十九  女の村
二十  太陽の神に愛されたモアカイカイ
二十一 さるとせんざんこう
二十二 豹と熊
二十三 とかげとえび
二十四 鹿にだまされた兎

    小林氏による注
    小林保祥氏による解説
    (挿絵版画 田主 誠)

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内容説明

大正2年から4年間にわたり台湾旧慣調査会の調査官を務め、その後も20年近くパイワン族の村に住み、民芸の紹介や創作活動を続けた著者による、同族伝説の遺稿集。編者によって読みやすく改稿されたものに、中文訳を合冊(謝茘訳)。


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序文 松澤員子


ここに収録されたパイワン族の伝説は、故小林保祥氏が大正十年頃から昭和十三年頃までに、中部パイワン族の村々で採集されたものです。


ここで著者小林保祥氏についてご紹介しておきたいと思います。小林氏は、大正二年台湾総督府臨時台湾旧慣調査会(後に蕃族調査会と改称)に調査官として採用され、他の数名の調査官と共に台湾原住民(高砂族)の旧慣調査に従事されました。台湾原住民研究者には今日なお基本的資料文献としてバイブルのように活用されている『蕃族慣習調査報告書第五巻(四冊)ぱいわぬ族』は、小林氏が西部パイワン族の村々で調査、収集された資料を主にしてできた報告書です。大正六年原住民の調査が終了し、蕃族調査会が解散されたため、小林氏も任を解かれました。しかし、調査の間に親しくなったパイワン族の村人のもとにもどり、さらに彼らの慣習調査を続けたいと希望されて、大正七年当該官庁の許可を得て、高雄州潮州郡ライ社に移住されました。大正十年にはライ社の近くのアマワン社に「高雄州パイワン工芸指導所」が設立され、そこの主事に任命されて、アマワン社に住居を移され、その後、昭和十三年主事を退任され日本に帰国されるまで、アマワン社周辺のパイワン族の村々で調査を続けられました。ここに収録されました伝説もその期間に収集されたものです。


小林保祥氏は、また画家としてパイワン族の村の風景や、伝説のモチーフを数多く油絵に描き残しておられます。小林氏は明治二十六年東京生まれ、旧制中学校を卒業後画家を志願して、太平洋画会研究所へ入学、六年間在籍されたそうです。渡台の契機となったのは写生旅行でした。当時、父上は医師で、台北に勤務されていたので台湾へ写生旅行に出かけられることになったそうです。そして、全島各地を旅されているうちに、台湾原住民の民芸に関心を深められたようです。大正二年には、台北で堀江よしのさんと結婚されたのです。その後、よしの夫人もパイワン族の民芸、特に織物と刺繍に大変興味をもたれ、村の老女たちから伝統的な機織りや刺繍を習い、後に「パイワン工芸指導所」で小林氏と共に若い女性に伝統を生かした新しい工芸品の制作の指導に当たられたそうです。


小林夫妻は、帰国後、神奈川県平塚市に住居を定められ、台湾で収集された資料の整理、執筆活動に専念される傍ら、油絵の創作活動も続けられました。昭和十九年には、柳田国男先生のお勧めがあって、『高砂族パイワヌの民芸』(東京、三国書房)を出版されています。柳田先生は、その序文の中で、「南臺湾の山地民の生活は、最近の經濟變動に伴なうて急激に變化しようとして居る。時節の到来をゆっくりと、待って居られるやうな仕事ではなかった。或は是が後代に遺さるゝ唯一の資料となるかも知れず、さうで無いまでも同じ機會は殆ど又来ない。」と述べ、小林氏の資料が将来の台湾原住民研究に貴重な資料となることとを認めておられます。小林氏は、その後も執筆活動を続けられ、『パイワン族の信仰生活』をまとめられましたが、その刊行を見ることなく、昭和五十九年他界されました。


最後に、私が小林保祥氏のこのパイワン伝説集の原稿を入手するに至った経緯について書いておきたいと思います。昭和六十三年春、小林夫人の実弟にあたられる堀江亨氏から突然お手紙をいただきました。堀江氏は私がパイワン族の研究をしていることをある書物でご覧になり、平塚市立博物館に保管されている小林氏の絵画や未出版の原稿、写真資料等をぜひ一度見てほしいとの依頼を受けました。小林氏がごく最近までそう遠くないところにお住まいだったのに、そのことを全く知らず、お目にかかる機会がなかったことは返す返す残念でしたが、偶然にその資料を見せていただけることになり感激いたしました。早速、堀江氏のご案内で、近くにお住まいの小川正恭氏と共に平塚博物館をお訪ねしました。博物館では学芸員の森田英之氏のご配慮で倉庫に保管されていた絵画十点余りを見せていただきました。その中で一番大きな油絵(五〇〇号)は、パイワン族の村の生活を詳細に描いたすばらしい民俗絵でした。最後に、森田氏は小さなトランクを出してくださって、一度も開いたことがないのでなにが入っているかわからないとのことでした。早速、そのトランクを開けることにしました。なんと、なんとそれは見事な玉手箱でした。パイワン族の村で写された貴重な写真、ネガフィルム、そしてたくさんの原稿が出てきました。その原稿の一つが伝説集でした。


その当時、小林よしのさんは平塚市の養護老人ホームに入所されていましたが、九十歳というご高齢にもかかわらず、パイワン族の村での生活や、伝統的な織物の技術についてしっかりと語ってくださいました。その後、なんどか博物館を訪ね、トランクの中の資料の整理をさせていただきました。しかし、平塚博物館では絵画以外のこの貴重な資料は利用されることもないので、他に有効に保存し、利用する方法を考えた方がよいとの結論に達し、翌年小林よしの夫人と堀江亨氏のご許可を得て、平塚博物館と国立民族学博物館(民博)との交渉の上、これらの資料を民博に移管していただくことになりました。民博では、先ず、劣化の進んでいる写真資料を整理し、およそ五千点ほどの写真をコンピューターに入力しました。その後、少しずつ原稿の整理をし、やっと伝説集をまとめることができました。


小林氏の原稿は旧漢字や旧仮名遣いで書かれていますので、それを現代仮名遣いに改めました。また、今日ではあまり使われない言葉や、理解しにくい言葉を現代風に書き改めました。さらに、演劇の台本のように、語り物として書かれてあったものを読み物文章に変えさせていただきました。しかし、もちろんできるだけ原文に忠実にと心がけました。台湾原住民研究の大先達の遺稿をこのような形で刊行することができましたのも、堀江亨氏のご理解とご支援があったことを覚え、感謝いたします。また、版画家田主誠氏が五枚の挿絵を描いてくださって、この本に花を添えていただきました。ありがとうございました。最後になりましたが、資料の整理や刊行にあたって、台北の順益台湾原住民博物館からの研究資金助成をいただきましたことをここに明記し、心から御礼申しあげます。

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