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越境する身体の社会史

華僑ネットワークにおける慈善と医療(仮題)

越境する身体の社会史

近代中国が直面した国際化とその対応を、香港の事例から考察、伝統的な医療や社会組織の変容・適応を再評価。

著者 帆刈 浩之
ジャンル 社会・経済
出版年月日 2015/01/20
ISBN 9784894891302
判型・ページ数 A5・368ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに──旅する遺体

第一部 東華医院と華人ネットワーク  
 第一章 香港における近代医療の展開
 第二章 香港東華医院の慈善活動
 第三章 東華医院の海外ネットワーク
 第四章 疫病流行と中国人社会の対応

第二部 中国医学をめぐる「近代化」の諸相
 第五章 科学と民族主義の時代──民国初期における中国医学廃止をめぐって
 第六章 中国医学の国際化と現地化
 第七章 香港における中国医学の制度化

おわりに
あとがき/参考文献/索引

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内容説明

グローバル化に伴う負の側面──疫病の伝播、異郷での死。

本書は、近代中国が直面した国際化とその対応を、香港の事例から考察。伝統的な医療や社会組織の変容・適応を再評価しながら、アジア史への新たな視点を大胆に提示。

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はじめにより

 

 ……そして、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、東アジアの貿易都市が直面した社会問題の最たるものは、農村より流入し、さらには海外へ渡る移住民の波、そして断続的に流行する疫病であった。こうした問題は、国境を越えたヒト・モノ・カネの移動の大規模展開による世界の一体化の結果であり、すぐれて「近代」的現象といえる。かかる事態に対して、アジア諸国家の政府、地域社会、帝国主義勢力などは、それぞれの思惑から対策を講じた。歴史的に、移民の管理や疫病への対応は地域によって多様であり、それぞれの伝統社会で培われた知識や技術での対応がなされた。しかし、近代における社会変動の衝撃はそれ以前のものとは比べられないほど大きいものであった。
 同時に、これはアジアに進出した西洋諸国の諸活動にとっても予期せぬ障害となった。移民の管理は法的規制が可能であったが、伝染病の脅威は等しく西洋人にも降りかかった。そこで西洋諸国は近代学問を帝国主義統治に動員することで対処していった。たとえば、「帝国医療」(Imperial medicine)と呼ばれる帝国主義支配のための医学体系はその典型的な学知であった。それは武器による破壊行為ではなく、医療という一見、人道的な行為を装い、人種主義を内包しつつ、支配を正当化するイデオロギーとして機能したのである。「衛生」の制度化は、単なる都市の清浄化ではなく、西洋にとって「不潔な」生活習慣や「社会悪」の排除をも含んだ民族差別的な国家統制色のきわめて強いものであった。

 香港において東華医院が設立されたのは、まさにこうした時代であった。香港政庁が中国人による病院建設に財政支出を惜しまなかったのも為政者の善意を示しつつ、同時に香港の衛生環境を維持するためであった。
 中国人人口が急増し、その居住区の衛生環境が悪化する中、西洋では病因論が大きく転換していた。すなわち、汚れた空気を伝染病の病因とみなす従来の学説に代わり、特定の病原菌を原因とみなす細菌学説が登場することで、植民地において独自の生活風習が容認されていた中国人社会が医療行政の対象とされ、防疫・衛生が重要な政策課題となったのである。
 例えば、移民とくに感染源と目された中国人移民に対する入国審査は、「正当な」医学的根拠にもとづく差別的対応の中で行われた。また、その過程では、中国の伝統医学、生活習慣なども問題視する人種主義をともなった。
 そうした中、中国医学による治療を行い、しかも施設内に中国人の遺体を保管していた東華医院は西洋人社会から批判を浴び、存亡の危機に陥った。しかし、結果的に海外植民地経営や香港経済にとって中国人移民は必要不可欠であり、それを支える東華医院の存在は無視できないと判断されたのであった。華僑への慈善活動を行っていた東華医院と植民地統治者の思惑が、移民の「価値低下」を防ぐという目的において一致したと言えよう。

 これまで、近代アジアにおける移民や疫病をめぐる社会史研究は、主として近代的統治手段の導入に関心が置かれてきた。しかし、本書の主要な関心は、「衛生」など近代的諸価値の導入それ自体にはない。むしろ、移民増加、疫病流行、そして、近代西洋医学や帝国医療の到来という、社会変動や近代の価値観に直面した中国人社会がどのように対応したかに関心がおかれている。
 そもそも医療は各地の固有の歴史文化を背景に形成・発展してきたものである。近代史の歴史叙述において、往々、「中国医学」対「西洋医学」という図式で把握されることがある。それは文明の衝突における象徴の一つとして医学が注目されたのであり、医学理論が異なるのは当然であり、むしろ対立を引き起す要因は政治や社会に存在したのである。そして、近代中国における社会の実態としては、両者は競合しつつも共存してきたのである。すなわち、検討すべき課題は、医学の社会化の局面である。儒教倫理の影響を受け、中国の基層社会を支えた家族・廟・善堂で実践された伝統医学は「善挙」(賞賛されるべき善なる行為)であった。他方、早くから医療の社会化・専門化が進行した西洋では近代病院制度の形成を経て、一九世紀後期にアジアに進出した際には、帝国医療による「支配」という契機を内包し、組織化された学問として到来したのである。
近代アジアの医療史というと、帝国医療の進展や公衆衛生の制度化という西洋中心の視点によるテーマが研究者の関心を集めているが、アジア社会における医療の展開をアジア史の文脈において総合的に捉えるという視点はこれまで希薄であったように思う。
 西洋列強の植民地拡張とともに発展した帝国医療がグローバル・スタンダードとして世界を席巻した時代、中国人の民間社会による医薬を含めた慈善活動がもう一つの世界的ネットワークを形成していたという事実を見落としてはなるまい。むろん、本書ではこの両者を対抗的に位置づけることは意図していない。前者を引き継いだ近代医療システムが現代のスタンダードとなっているという事実は重い。ただし、二〇世紀初頭にはすでに中国伝統医学は近代医学の方法論を吸収すべく不断に革新を行っており、二一世紀の現在、国際的に中国医学が再評価され、伝統医学のネットワークすら形成されている。伝統医学の系譜は確実に現在も引き継がれている。……

 

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著者略歴

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