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よみがえる死者儀礼

現代カザフのイスラーム復興

よみがえる死者儀礼

ソ連崩壊から20年、イスラームが新たな展開をみせる中央アジア。都市と農村から社会主義的近代化を経た宗教復興のあり方に迫る。

著者 藤本 透子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2011/06/05
ISBN 9784894891654
判型・ページ数 A5・392ページ
定価 本体6,400円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
序章
 第一節 中央アジアの社会再編と宗教動態─問題の所在
 第二節 ポスト社会主義のイスラーム地域研究
 第三節 本書の視座
 第四節 調査の概要―草原と多民族都市での出会い
 第五節 本書の構成

●第I部 草原の多文化世界

第一章 中央アジア遊牧民のイスラームと近代
 第一節 地域大国カザフスタン
 第二節 遊牧民のイスラーム化と近代化
 第三節 カザフ遊牧社会の宗教的多層性と諸儀礼

第二章 社会主義の暮らしと宗教―相克/共存
 第一節 ソビエト時代の社会主義政策
 第二節 カザフ村落への定住と宗教実践
 第三節 多民族都市への移住と宗教実践
 第四節 社会主義経験の多様性

●第Ⅱ部 ポスト社会主義のイスラーム復興─生と死をめぐって

第三章 子どもの誕生と成長にともなう選択
 第一節 カザフスタン独立後のイスラーム政策と社会変容
 第二節 子どもの誕生から命名儀礼まで
 第三節 割礼・割礼祝─「ムスリムになる儀礼」か「手術」か
 第四節 儀礼の再活性化という選択

第四章 死者が生者にもたらす豊かさ
 第一節 死者の霊魂アルワク
 第二節 悲嘆と信仰の狭間で―死、挽歌、葬送礼拝、そして埋葬
 第三節 死者のためのクルアーン朗唱
 第四節 死者が生者に豊かさをもたらす──村人たちの語り
 第五節 イスラームと死者崇敬

●第Ⅲ部 変貌する社会、よみがえる死者儀礼

第五章 牧畜の村の再編と「祖先の土地」
 第一節 父系クランの土地の記憶
 第二節 ソビエト社会主義をへた牧畜の村の再編
 第三節 「祖先の土地」をめぐる新たな動き
 第四節 土地問題と死者儀礼

第六章 社会再編のなかのイスラーム祭日
 第一節 祝祭の動態とモスク開設
 第二節 断食月をとおしたつながり
 第三節 犠牲祭でのクルアーン朗唱
 第四節 生者のつながり、死者の系譜

第七章 よみがえる大規模な死者儀礼アス
 第一節 再考される地域史
 第二節 新たなかたちでのアス復興(一)──生誕一〇〇年祭
 第三節 新たなかたちでのアス復興(二)──「祖先の土地」の墓碑建設
 第四節 変貌する社会の死者儀礼

終章

あとがき
参照文献
カザフ語用語解説
索引

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内容説明

宗教実践の現場から社会変容を展望。ソ連崩壊から20年が過ぎ、イスラームが新たな展開をみせる中央アジア。本書は、社会主義的近代化を経た宗教復興のあり方という現代的課題への人類学からの回答の試みである。

 

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はじめに

 

ちょうど二〇年前のソ連崩壊以降、世界の多極化が進むなかで、イスラーム復興がひとつの潮流として注目されるようになっている。日常生活であらためて宗教を意識させられることの少ない日本で、メディアから伝わるイスラームは「過激派」や宗教的規範を厳格に守るイメージをよびおこすことが多いように思われる。しかし、ソ連から独立した中央アジア五ヶ国のひとつであるカザフスタンでは、意外にもこうしたイメージをかなり裏切るようなイスラーム復興が進展している。

中央アジアはユーラシア大陸の内奥に位置し、草原とオアシスに現代的都市が点在する地域である。多彩な民族が暮らすなかで最も多くをしめるのがカザフやウズベクなどテュルク系の諸民族で、大部分がスンナ派のイスラーム教徒(ムスリム)である。中央アジアでは、無神論教育が行われ反宗教的政策がとられたソビエト時代の七〇年あまりを経て、政策の転換によりモスクが急増するなどの変化がみられ、宗教が社会的に重要性を増している。イスラームをはじめとする宗教が、ソビエト時代よりも公的に認められるようになったことを肯定的に語る人は多い。だが、一日五回の礼拝を行う人は、増加しつつあるものの少数派にとどまる。新たに開設されたモスクに集まる人々も、それほど多くはない。

その一方で、とくにカザフスタンでは、死者のために聖典クルアーン(コーラン)の章節を頻繁に唱えることには驚かされる。死者の霊魂は生者の暮らしに影響を与えるとされ、日常生活のなかでしばしばクルアーンが死者のために朗唱される。また、夏に草原のカザフ村落を訪ねると、死者へのクルアーン朗唱を中心としながら、天幕のなかでの豊かな食事のもてなしや、草原での競馬や馬上競技をともなう儀礼が華やかに行われているのを目にする。こうした大規模な儀礼は、ソビエト時代の大部分をとおして行われなかったものであり、現在ではソビエト時代をはるかにさかのぼる祖先を供養するために行われているのである。さらに、イスラームの犠牲祭や断食月というアッラーへの信仰が重視される祭日などにも、クルアーンが死者のためにさかんに朗唱されるようになっている。

こうしたイスラームのあり方を、どのように理解していけばよいのだろうか。社会主義を経て、なぜ宗教的儀礼がさかんに行われているのだろうか。ソ連成立以前と果たして同じなのだろうかといった疑問が湧きあがってくる。これらの問題は、私たちとも決して無縁の事柄ではないだろう。社会主義はひとつの近代化のかたちとしてとらえられ、社会主義について考えることは、私たち自身の近代を再考することでもあるからだ。よく知られているように、近代化は世俗化政策をしばしばともない、とくに社会主義に基づく近代化は諸民族の融合とともに無神論のもとでの反宗教的政策を推進した。近代化が進展するにしたがって世俗化も進むとする議論の限界が指摘されて久しいが、現代社会でなぜ他ならぬ宗教が社会的に重要性を増す現象が生じているのかは、いまだ充分には解明されていない課題である。

本書は、現代における宗教復興現象のひとつとして、旧ソ連領中央アジアのカザフスタンを対象に、宗教的儀礼の再活性化が地域社会に生きる人々にとってもつ意味を明らかにするものである。社会主義を経験した地域における宗教復興のあり方は一定の共通性をもつとともに、各国政府の意図や地域社会に生きる人々の関心を反映して多様な展開を示している。つまり、いかなる動機によってどのような宗教実践が再活性化するかをとおして、その地域の文化的・社会的動態の特徴がきわだってみえてくるといえる。

ここでいう宗教復興とは、政治的に過激な動きというよりも、むしろ日常生活のなかで静かに高まりつつある宗教への関心をさしている。旧ソ連領中央アジアは、そうした宗教復興が社会再編のなかで生じている地域である。とくに生と死をめぐる宗教的儀礼の実践は、ポスト・ソビエト時代におけるカザフ人たちの生き方に深くかかわっている。カザフスタンでの調査をとおして、ソビエト時代やそれ以前にまでさかのぼる過去をふりかえり、自分の立ち位置を見極めていこうとする人々に私はずっとひかれてきた。時代の変化にともなう社会の激動をいかに生きるかという問題は、ときに目に見えない宗教的世界までも含みこんで展開されていることに気づかされたのである。

ソ連崩壊から二〇年を経て、中央アジアの人たちが越境する機会は増加し、日本へも留学や仕事で滞在するようになっている。中央アジアの宗教動態について知ることは、私たちが多民族化する日本を考えていく上でも欠かせない。国境を越えた人やモノの移動が活発になるなかで、宗教は多文化状況を読み解く一つの重要なカギであるといえよう。

また、変化の激しい現代社会に生きるなかで、生と死をめぐるさまざまな問題は、近代化を経ても解決されないものとしてしばしば私たちに迫ってくる。例えば、人にとっての死とは、死者とはどのような存在なのか。こうした問題について考えるとき、中央アジアというあまりなじみのない地域のムスリムたちの社会変容と宗教復興とは、遠いようでいて私たちの暮らしにとても近いものとして立ち現われてくる。世界の片隅のように思われる草原の小さな村で起きていることが、実は私たち自身の問題でもあるのではないだろうか。

 

 

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著者紹介

藤本透子(ふじもと とうこ)1975年、宮城県生まれ、秋田県育ち。2008年、京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。現在:国立民族学博物館先端人類科学研究部機関研究員。専攻:文化人類学

主要業績:「あるインテリ女性の子育て―ソ連時代からカザフスタン独立後の変動のなかで」『沙漠研究』14(4):231-246(2005年)、「ポスト・ソビエト時代の死者供養―カザフスタン北部農村における犠牲祭の事例を中心に」『スラヴ研究』55:1-28(2008年)、「ポスト・ソビエト時代における大規模な供養アスの展開」高倉浩樹・佐々木史郎編『ポスト社会主義人類学の射程』国立民族学博物館調査報告78:393-428(2008年)、『カザフの子育て』(風響社、ブックレット≪アジアを学ぼう≫⑲、2010年)、Kazakh Memorial Services in the Post-Soviet Period: A Case Study of Northern Kazakhstan Villages. In: Yamada, Takako & Takashi Irimoto (eds.), Continuity, Symbiosis, and the Mind in Traditional Cultures of Modern Societies. Sapporo: Hokkaido University Press, pp.117-132 (2011年)。

 

 


 

 

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