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中央アジア灌漑史序説

ラウザーン運河とヒヴァ・ハン国の興亡

中央アジア灌漑史序説

灌漑とそれを支える王権の関わりを考察。自然環境と地域社会の結びつきをもとに、新たな歴史像を描く。

著者 塩谷 哲史
ジャンル 歴史・考古
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2014/02/20
ISBN 9784894891975
判型・ページ数 A5・304ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

 凡例
序論
 はじめに
 第一節 先行研究と問題の所在
 第二節 史料解題

第一章 ヒヴァ・ハン国の成立とトルクメンの移動
 はじめに──ホラズムの環境と政治権力
 第一節 一八世紀までのヒヴァ・ハン国
 第二節 一九世紀前半ヒヴァ・ハン国における灌漑事業の展開
 第三節 一九世紀前半ヒヴァ・ハンの軍事遠征の展開
 第四節 ムハンマド・アミーン・ハンの政策転換──ラウザーン運河封鎖の開始とその背景
 第五節 バンドの建設──ラウザーン運河封鎖の完成
 小 結

第二章 帝政ロシアのアムダリヤ転流計画とヒヴァ・ハン国
 はじめに
 第一節 ロシアのヒヴァ遠征とアムダリヤ旧河床調査
 第二節 アムダリヤの転流計画とラウザーン運河の意義
 第三節 一八七〇─一八九〇年代ラウザーン運河周辺における灌漑事業
 第四節 新ラウザーン運河とトルクメン
 第五節 新ラウザーン運河建設の帰結
 第六節 一九─二〇世紀転換期のヒヴァ・ハン国の政権構造の変容
 小 結

第三章 ハンと企業家──ラウザーン農園の成立と終焉 一九一三─一九一五年
 はじめに
 第一節 ヒヴァ・ハン国の改革とアンドロニコフ公の土地取得交渉
 第二節 ラウザーン農園の成立
 第三節 ヒヴァ・ハン国政府とラウザーン農園
 小 結

第四章 帝政末期アムダリヤの水利権をめぐるロシア=ヒヴァ・ハン国関係
 はじめに
 第一節 分与規定とルィコシンの批判
 第二節 クリヴォシェインのトルキスタン開発政策
 第三節 アムダリヤ流域における灌漑利権問題とラウザーン農園
 小 結

結論
 あとがき
 初出一覧
 参考文献

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内容説明

中央アジアはかつてユーラシア史の中軸にあったが、16世紀以降の火器普及や海路開拓に伴い次第に周縁化する。本書は、そうした時期における灌漑とそれを支える王権の関わりを考察。自然環境と地域社会の実像に基づいた新たな歴史像を描く。

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序論より

 本書は、新たな展開を見せる中央アジア史研究に三つの問題提起を行い、その解決に向けた取り組みを行う。
 第一に、冒頭で述べた通り中央アジアの水資源問題に対する人文学の分野からの研究が必要とされている。しかし、この課題に応える灌漑史研究、とりわけソ連期以前を対象とした考察は、中央アジア近現代史研究が新たな展開を見せる今においても、いまだ途上にある。……
 本書は、バルトリド以来の一次史料にもとづく実証主義研究を踏襲し、新出史料を積極的に活用していく。そして、ソ連期に蓄積された研究成果を批判的に検討し、修正することで、新たな灌漑史像を構築する。またアラル海問題に代表される、現在の中央アジアの水資源問題の直接的原因となったソ連期の灌漑開発については、ソ連期以前をも対象とした、より長期にわたる人文学の視点からの実証研究の蓄積が必要であろう。この点に関して本書は、ソ連期以前(一六世紀─二〇世紀初頭)のアムダリヤ下流域を対象とし、バルトリド以来の研究蓄積と今日的な中央アジアの水資源をめぐる諸研究課題とを架橋する灌漑史研究を目指したい。
 第二に、一九世紀後半の軍事征服を中心とした帝政ロシアの進出と支配の開始は、たしかに中央アジア史上の転換点であった。しかしそのことに注目するあまり、中央アジア史研究はしばしば帝政ロシアの進出以前と以後に分断される傾向がある。本書は、一九世紀初頭以前に起源をもつホラズム・オアシスの一運河周辺で生起した諸事件、自然環境の変化を手がかりに、同地域に成立した定住政権と遊牧集団との関係に注目しながら、帝政ロシアの進出前後の現地政権の興亡と現地社会の動態を明らかにしていく。
 第三に、ロシア進出以降の中央アジア史研究においては、ロシア帝国権力と現地社会との関係を二項対立的にとらえず、「帝国の政策・制度・文化と非ロシア人側の動きが相互に影響し合ったという見方」[宇山 二〇一二b:一七一]にもとづくロシア帝国論が重要な位置を占めるようになった。しかしこうした研究動向は、「ロシア帝国の非ロシア人統治を過度に調和的にとらえ」る危険性を有している点が指摘されている[宇山 二〇一二b:一七三]。また、利用する史料についても、「ロシア語文書史料に過度に依拠すると、〔ロシア帝国の〕ムスリム社会内部の動態の把握が不可能でないにせよ、困難になり、東洋学的な関心で接近すると、帝国の統治制度の考察が手薄になる」という問題が指摘されている[長縄 二〇一〇:一九六]。本書は、これまで主に利用されてきたロシア帝国の植民地行政文書と現地語史料に加え、帝政末期に中央アジアでの灌漑事業に進出した企業家предпринимательの視点で書かれた文書史料を用い、帝国政府、企業家、現地政権、定住化しつつあった遊牧集団といったより多様な主体の意図、動き、相互関係を分析することにより、帝国論に新たな問題提起を行う。

(中略)

 本書は、以上のような研究史を踏まえた上で、次のような構成をとる。
 第一章では、ヒヴァ・ハン国で書かれた年代記および同時代にヒヴァ・ハン国を訪れた旅行者、使節の記録をもとに、一九世紀前半のヒヴァ・ハンたちが実施した灌漑事業の背景を解明し、ハン国政権とトルクメンとの関係の変化を明らかにする。それと同時に、ラウザーン運河の封鎖によりトルクメンへの水供給を制限することで彼らを臣従させようとするヒヴァ・ハンの政策は一貫しているという、トロイツカヤに代表されるソ連史学の議論を再検討していく。
 第二章では、一八七三年から二〇世紀初頭にかけてのヒヴァ・ハン国の灌漑政策と帝政ロシア政府などが立案した灌漑事業との関係を検討する。灌漑の停滞期と見なされる当該時期において、ロシア人のイニシアチヴによりいくつかの灌漑事業が計画、実施されたことに注目し、こうした事業の背景、経過、そして現地社会に与えた影響を、現地語史料およびロシア植民地行政文書やロシア人灌漑技師の論文などにもとづき明らかにする。
 第三章と第四章では、一九一三年からロシア人企業家がヒヴァ・ハン国政府とともに計画したラウザーン農園 дача Лаузан の灌漑事業を取り上げ、両者の事業推進の目的、実施過程を明らかにする。そしてこの事業が失敗に終わった要因を、当時のラウザーン運河周辺の水利用をめぐるヒヴァ・ハン国政府とトルクメンとの関係、および一八七三年の和平条約によって規定されたロシア政府とヒヴァ・ハン国との関係、さらに帝政政府と企業家たちとの関係の文脈から明らかにしていく。
 本書は、これらの考察を通して、①ソ連体制成立以前の中央アジアにおける水資源問題の実相、②ラウザーン運河周辺の灌漑事業と自然環境の変化との連関から見えてくる、帝政ロシアの進出前後のホラズム・オアシスにおける政権の興亡と現地社会の動態の解明、③ロシア帝国権力と現地社会ないし現地政権(ヒヴァ・ハン国政権)、企業家やトルクメンなど多様な主体に注目した灌漑史叙述にもとづく、帝国論への新たな問題提起を目指す。……

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著者紹介
塩谷哲史(しおや あきふみ)
1977年栃木生まれ。
2010年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専攻は歴史学、中央アジア近現代史。
現在、筑波大学人文社会系助教。
主要論文として “Who Should Manage the Water of the Amu Darya?: Controversy over Irrigation Concessions between Russia and Khiva, 1913-1914,”(P. Sartori (ed.), Explorations in the Social History of Modern Central Asia (19th - Early 20th Century), Leiden: Brill, 2013)、「ハンと企業家―ラウザーン荘の成立と終焉1913-1915」(『東洋史研究』第71巻第3号、2012年)、 “Irrigation Policy of the Khanate of Khiva regarding the Lawzan Canal (1), 1830-1873,”(『筑波大学地域研究』第32号、2011年)など。

 

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