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18 インドの「闘う」仏教徒たち

改宗不可触民と亡命チベット人の苦難と現在

ヒンドゥーの大海の中で、カースト制度や差別からの解放、またチベット独立に向けて活動する人々の実像を追う。

著者 榎木 美樹
ジャンル 社会・経済・環境・政治
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》
出版年月日 2010/11/10
ISBN 9784894897458
判型・ページ数 A5・64ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

一 マハーラーシュトラ州を中心とする改宗を経た仏教徒──アイデンティティの模索者

 1 改宗を経た仏教徒との出会い
 2 マハールと呼ばれた人々──ナーグプル市の仏教徒
 3 B・R・アンベードカルの生涯と思想
 4 改宗一世代の温度差
 5 アンベードカル没後のナーグプル仏教徒
 6 社会経済状況、信仰、社会運動、そしてアイデンティティ
 7 ナーグプル市における外国仏教団体の活動
 8 よそ者の運ぶ風

二 チベット仏教徒──亡国のディアスポラ

 1 チベット人との出会い
 2 チベット民衆の苦難と闘いの始まり
 3 亡命社会の成立と民主主義の導入
 4 三権分立の確保
 5 予算
 6 選挙制度
 7 国際社会のチベット支援とNGO活動
 8 亡命チベット社会における民主化の課題

三 「よそ者」が関わる意義

 1 インドにおける仏教徒連帯の萌芽
 2 コネクターとしての国際NGOの役割と可能性

おわりに

注・引用文献

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内容説明

発祥地にもかかわらず一%に満たないインドの仏教徒たち。ヒンドゥーの大海の中で、カースト制度や差別からの解放、またチベット独立に向けて活動する人々の実像を追う。ブックレット《アジアを学ぼう》18巻。


*********************************************


はじめに


インドで発祥しその後東南・東アジアへ伝播した仏教は、現代のアジア地域において今もなお有力な勢力である。仏教は、創始者であるブッダの死後、伝播したそれぞれの国・地域の社会状況に応じた伝統の中でその形を変え、さまざまな発揮の下に変化し発展してきた。仏教教義において何を重んじるかもさることながら、僧侶がどのような装束をまとうかということにも多様性を見出せる。チベット仏教僧の緋の衣、スリランカやタイやビルマなど上座部の僧侶がまとうサフラン色もしくはからし色の衣、台湾や韓国では灰色、日本では黒のほか宗派毎に特定の色があったりする。それぞれの仏教のもつ特色や儀礼に尊敬と東洋の神秘を見出す者も数多い。


このように歴史的に多様な形態で発展した仏教であるが、発祥国インドに焦点をあててみれば、一三世紀に仏教は教団としてインドから「消滅」した。その後、ヒマラヤ山麓からベンガル地方にかけて居住してきた人口比〇・〇五%程度の仏教徒が、それぞれのコミュニティの信仰を今日まで維持してきた。現在のインド仏教徒は六四〇万人(インド国勢調査、二〇〇一年、人口比〇・八%)である。インド人口の八割以上はヒンドゥー教徒であることに鑑みると、仏教徒はインドでマイノリティとして位置づけられる。ヒンドゥー教は国教ではないものの、インド人の大多数が信仰している宗教である。
現在まで、ヒンドゥー教徒と仏教徒は目立った対立を起こしてこなかったが、細かく見ればさまざまな問題を抱えてきた。インドでは、仏教はヒンドゥー教の一部であるとの考えが根強く、仏教とヒンドゥー教を同一視する人々もいる。すなわち、ヴィシュヌ神(有力なヒンドゥー神の一人)の第九番目の化身が仏教の創始者ブッダであると考える人々である。このような人々から見れば、仏教はヒンドゥー教の一派であるので、仏教徒はヒンドゥー法に従うべきだと考えている。仏教の側からみれば、これはヒンドゥー教が勝手に喧伝しているに過ぎない。


このような状況にあって、ヒンドゥー教とは異なる宗教として仏教を信仰する人々が本書の扱う仏教徒である。現代インドでは、大きく二つのタイプの仏教徒が衆目を集める存在であろう(図1参照)。一つはマハーラーシュトラ州を中心にマラーティー語もしくはヒンディー語を使用してアンベードカル──不可触民解放の父と称され、独立インドの初代法務大臣としてインド憲法の起草者でもある──を信奉する仏教徒で、統計上、インド仏教徒の多数派である。一九五六年の仏教への集団改宗により仏教徒になった人々およびその子孫がこの集団である。彼らはヒンドゥー教が正当化するカースト制度とそれに基づく差別と闘う人々である。一九五六年の集団改宗によって、インドの仏教徒人口は〇・〇五%から〇・七%へと増加した。これは、インドにおける仏教復興運動として歴史的な意義をもつ。もう一つはダライ・ラマ一四世を信奉する仏教徒である。いわゆるチベット仏教徒で、難民であるためインド国籍は保有していないが、おそらく国際社会の関心の最も高い仏教徒集団である。一九五九年にダライ・ラマ一四世がチベットからインドへ政治亡命し、それに続くチベット難民八万人のインドへの流入は、インドにおける仏教史上、重要な事項である。彼らは当初、チベット独立のために闘っていたが、現在は信教の自由や生存のために闘っている。


このようにそれぞれの集団が獲得したい目標は異なるものの、インドという地でそれぞれの困難を克服するために前進し続ける集団である。インドにおける「仏教消滅」以来の歴史過程で、双方が一九五〇年代に大きな転機を迎え、よりよいコミュニティ発展のために「闘う」仏教徒であることを選択した。お分かりのことと思うが、本書でいう「闘う」という言葉は、暴力を意味するものではない。自らあるいはコミュニティの困難を乗り越えるための闘いを指す。
以下では、多民族・多宗教国家インドにおいて、これら言語や歴史的背景の異なる仏教徒集団がいかに相互の関係性を構築し、それぞれの「闘い」を推進しているのかについて報告する。各仏教徒に対するフィールド調査から彼らの運動の方向性を検討し、「よそ者」であるわれわれ外国人はどのように関わっていくことができるのかについて考察することが本書のめざすところである。当該社会に積極的に関わろうとする「よそ者」のまなざしを通した報告としてお読みいただきたい。


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著者紹介
榎木美樹(えのき みき)
1973年、大阪府生まれ。
ジャワハルラール・ネルー大学(インド)社会学修士課程修了。修士(社会学)。
龍谷大学経済学研究科博士後期過程修了。博士(経済学)。
現在、国際協力機構(JICA)インド事務所企画調査員(市民参加協力案件形成促進・監理)。
主な論文に「亡命チベット人の国民統合:インドにおける中央チベット行政府の取り組みをめぐって」(博士論文2007年3月)、「亡命チベット人のアイデンティティ構築:チベット人性の内面化プロセス」(『龍谷大学経済学論集』第49巻第5号)などがある。

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