
目次
序章 木の文化から熱帯林問題を考える
第1節 祖父とインドネシアと木材
第2節 インドネシアの森林保全と管理における木材需給
第3節 住文化と木の文化からの視座
第4節 本書の構成
第1章 問題の所在
第1節 先行研究に対する本研究の位置づけ
第2節 本書の視点
第3節 研究方法
第2章 スマトラ・カリマンタン東岸の水辺
第1節 地理と生態
第2節 社会的、文化的背景
第4節 研究対象地域
第5節 研究対象地域の位置づけ
第3章 水辺の集落
第1節 水辺集落の空間特性
第2節 居住者の特性
第3節 集落開拓の歴史
第4章 住居建築の知識と技術
第1節 伝統的建築の在来知
第2節 杭上住居の構造
第3節 杭上住居の建築
第4節 建材の選択とその認識
第5章 水辺の居住空間
第1節 水辺の住居のかたち
第2節 居住空間を分ける
第3節 居住空間を使う
第6章 建築木材の変容とその背景
第1節 用いられる建材の変容
第2節 人々による建材の入手と木材価格
第3節 建築木材の小売の変容
第4節 建築木材の生産の変容
第5節 ウリンのこけら板の生産、利用の変容
第6節 建築木材の生産、小売と森林政策との関連
第7章 杭上住居のメンテナンス
第1節 メンテナンスしながら住む
第2節 築年数とメンテナンス
第3節 修理と建て替えの技術と知識
第4節 建築木材の腐朽に関する知識
第5節 木杭腐朽の科学的評価
第8章 人々による居住場所の選択
第1節 居住者の構成
第2節 住居の所有と居住場所
第3節 生業と居住場所
第4節 集落外での居住
第5節 内陸への移住
第6節 居住場所の選択とその要因
終章 水辺における木の文化の持続に向けた課題
第1節 水辺の暮らしの柔軟性と脆弱性、その対応
第2節 水辺の暮らしにある木の文化
第3節 水辺における木の文化の持続に向けた課題
あとがき
参考文献
索引
内容説明
海と森の狭間に生きる人びと
湿り、軋み、乾きを繰り返す杭上住居、そこではメンテナンスと生活は同時進行だ。伝統建築の構造や技術、集落の歴史を詳述しながら、森林の減少という課題を浮き彫りにする本書は、暮らしを支える自然と開発・成長のバランスを静かに問いかける……。
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はじめにより
遠くで、小舟のエンジンがポンポンと音を立てている。もうすぐ朝が来る。窓の外では、水面がゆれている。潮が満ちているのだ。小舟は、家々のあいだをすり抜けて海へ向かう。バイクが桟橋を通り、鶏が鳴き、モスクからお祈りの放送が流れる。水面に朝の光が映る。この風景の中では、水は絶えず満ち引きを繰り返し、それにゆだねるように人々は生きている。ここでは、自然と文化の境界はいつだってあいまいである。
私がこの風景に魅かれる理由の一つには、祖父の記憶がある。祖父は、かつてインドネシアから日本へ原木を運ぶ仕事に携わっていた。祖母から聞く祖父の話は、遠いようで近い、知っているようで知らない、そんな世界のことのようだった。戦後の高度経済成長期に祖父が見たであろうインドネシアの海や森、船に原木が積み込まれる風景を、私は想像することしかできない。けれども、インドネシアの水辺の集落に足を踏み入れ、潮の満ち引きを見、現地の人々と言葉を交わす時、祖父、そして祖父が生きた時代の気配を少し感じられるような気がするのだ。
インドネシアの水辺は、海と森と人の暮らしが一体となった世界である。そこに、祖父の記憶が宿っている。それを摑みたくて、私は研究の道に進んだ。祖父が日本へ運んでいた木は、インドネシアの水辺の集落で今もなお欠かせない大切な建材でもある。木に関わる文化、それも現地の人々の生活に密接な部分を、今の社会の文脈の中で考えてみたい。このことが、祖父の記憶を辿った先にある、新しい発見や思考につながるかもしれない。そう思って、ここまで研究を続けてきたように思う。
インドネシアの水辺には、海と森、陸と水という狭間で生きる人々の知が息づいている。現地の人々は、潮の満ち引きに合わせて暮らしを営んでいる。そこでは、自然と文化は常に交ざり合い、人々はその変化を受け入れながら生きている。現地の人々は、手に入る材料で家を建て、修理し、住み継ぐ。木杭が川底に打たれ、その上に床や壁が組まれる。満潮時は床下すれすれまで水が上がり、干潮のときは木杭が姿をあらわす。建材として長年使われている木は湿り、軋み、乾くことを繰り返しながら、そこに生きる家族を支え続けている。人々は建材として使う木の強度や色味、質感などにこだわり、木が腐ることと日々向き合いながら生きている。この水辺の暮らしにおいて、木は単なる建材ではなく、現地の人々と一緒に呼吸し、生きている、そんな存在なのである。
今日、私たちのどれほどが、自然とのつながりの中で家を維持できているだろうか。たとえば、多くの家は長年暮らしていると劣化してくるが、そのことに住み手はどれほど気を配り、ケアをしているだろうか。家が劣化するということに目を背けたり、関心を示したりせず、仮に何か不具合があったとしても工務店などの専門家に任せる人も少なくないだろう。経年劣化が少なく、均質な、新しい建材の開発が進み、家を建てることと住むことが一層切り離されていく。そんな世界に生きていると、私たちに備わっていた自然と一体となって生きる感覚やそこにあった価値観が、身体からすっかり抜け出てしまい、取り戻そうと思ってもその手がかりすら掴めなくなってしまうような気がしてならない。翻って、インドネシアの水辺に暮らす人々の生活を眺めてみると、上記したような変化ももちろんあるが、自然と文化の一体感があることに気がつく。インドネシアの水辺では、家を建てることも、食べることも、祈ることも、自然のリズムとともに形づくられている。それは、自然と文化を分け、文化の発展に注力する発想とは別の、世界のあり方である。
私は本書を、地域研究の視点を軸に、人類学や建築学、林学などの分野の思考も取り入れて描こうとしている。フィールドワークで出会った人々の暮らしは、統計調査などでは到底捉えきれない豊かさに満ちていた。現地の人々一人一人の生き方、家族との関係、そして人々と木の関係。これらを丁寧に描くことを通じて、本書は、木の文化から環境問題を考えるための糸口を見出そうとするものである。
本書の構成を簡単に述べたい。序章では、木とともに生きてきた人々の文化的背景をたどりながら、森林保全や資源利用の課題を整理する。続く第1章では、先行研究を踏まえ、本研究の視点と方法を明らかにする。第2章から第3章では、フィールドとしてのスマトラ東岸やカリマンタン東岸の水辺社会の歴史と、そこに生きる人々の生活空間を描く。第4章から第7章では、住居建築や木材利用の知識、技術、そしてその変化をたどり、人々がどのようにして自然の変化に応じながら家を建て、手を入れ、住み継いできたのかを探る。
最終章では、水辺の暮らしと木の文化の持続可能性、そして熱帯林保全に向けた新たな視点について考察を試みる。
私は、自然と文化を切り離すことなく捉える試みを続けながら、すでに社会の中で生じている問題をこの視点と接続させて考えることも心に留めて、インドネシアの水辺での研究を続けてきた。ただし、調査の結果を示すなかでは、両者を二項対立で捉える見方によってしまった部分も少なくなく、課題は残っている。本書が、読者の皆様にとって、自然とともに生きる知の意味を考え、身体の底から思い出すきっかけの一つとなれば幸いである。
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著者紹介
鈴木 遥(すずき はるか)
1982年大阪府泉南市出身。京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻修了。京都大学東南アジア地域研究研究所研究員、京都大学生存圏研究所ミッション研究員、インドネシアリアウ大学社会学研究科客員教員などを経て、現在、神戸学院大学人文学部講師。博士(地域研究)。
インドネシア沿岸域を対象とし、人と自然との相互関連を、住文化や自然資源利用などから理解することを目指す。インドネシアの森林火災に関する共同研究への参加をきっかけに、対象者と調査者の協働や相互作用による実践研究にも取り組む。日本でも、生活文化や自然保全に関わる社会課題を扱う。
著書・論文に、Vulnerability and Transformation of Indonesian Peatlands(分担執筆、Springer)、”People’s Choice of Place of Living and Related Factors in a Coastal Community in Riau, Indonesia”(Southeast Asian Studies, 2025年)他。

