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戦後台湾における〈日本〉

植民地経験の連続・変貌・利用

戦後台湾における〈日本〉

50年に及ぶ植民地経験がもたらしたものは何か。様々に語られてきた「他者像としての日本」。アジアにおける日本の「実像」。

著者 五十嵐 真子
三尾 裕子
ジャンル 人類学
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2006/03/30
ISBN 9784894890435
判型・ページ数 4-6・296ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫僅少
 

目次

はじめに    五十嵐真子

日本統治時代と国民党統治時代に跨って生きた台湾人の日本観 蔡錦堂(水口拓寿訳)

元台湾人特別志願兵における「植民地経験」   宮崎聖子

二つの「日本」──客家民系を中心とする台湾人の「日本」意識  堀江俊一

植民地台湾における高等女学校生の「日本」──生活文化の変容に関する試論   植野弘子

台湾先住民アミの出稼ぎと日本語──遠洋漁業を例として   西村一之

自画像形成の道具としての「日本語」──台湾社会の「日本」を如何に考えるか  上水流久彦

戦後台湾抗日運動史の構築──羅福星の革命事績を中心に  何義麟(北波道子訳)

真宗大谷 派台北別院の「戦後」──台湾における日本仏教へのイメージ形成に関する一考察  松金公正

戦後台湾における所謂塔式墓の系譜とその認識──無意識の中の「日本」のかたち  角南聡一郎

おわりに   三尾裕子

台湾略年表
語彙集
索引

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内容説明

50年に及ぶ植民地経験がもたらしたものは何か。戦後60年の歳月の中で様々に語られてきた「他者像としての日本」とその「支配」。本書は、2005年の国際ワークショップにおいて、多様な事例をもとに報告された、アジアにおける日本の「実像」である。


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はじめに 五十嵐真子


台湾と多少なりとも関わりを持ったことのある日本人の中には、日本に対して好印象を持ち、流暢な日本語を話す台湾の人々との出会いを経験したことのある人は少なくないだろう。こうした人々の多くは、日本統治時代に日本語による教育を受けた高齢の世代で、近年「日本語族」「日本語人」などと呼ばれるようになっている。筆者のような人類学者は、人々と密接に関わり合いながら研究を推し進めていくという方法をとっているため、まだ調査地の生活や現地語(北京語もしくは中国語の方言・先住民諸語)に不慣れな時期に、こうした人々に最初に接触し、またさまざまな便宜を図ってもらうことも多い。ところが、彼らは単に言葉が通じるから世話をしてくれるだけではないのである。私たちを、日本統治時代の思い出を懐かしく語る相手、また台湾との比較で今の日本を褒めあう相手とみなしていることも多く、戦後世代の日本人研究者は、逆にこのことに面くらい、それをどのように解釈したらよいのか迷ったまま調査を続けることとなる。彼らがかつての植民地宗主国を否定しないばかりか、植民地期を追慕するようなことを憚ることなく表明することに対し、旧宗主国の子孫としては、素直に喜ぶこともできず、かといって彼らの若かりし日々の経験を否定するかのように植民地主義の悪を彼らに説き、抑圧された者としての自覚を促すような語り口で接するのも不自然に感じられる。


こうした「日本語族」あるいは「日本語世代」と呼ばれる人々の存在は、近年日本においてもマスコミに取り上げられ、日本人にも広く知られるようになってきている。おりしも中国大陸や朝鮮半島での反日感情が高まっている現在の情勢のなかで、こうした人々の存在からいつしか「親日的な台湾」というイメージが一人歩きをしているような状況があるように思われる。中には、そういった台湾の人々の言葉や文章を利用して、日本の植民地統治は善であったかのように吹聴する日本人も見られる。しかし、台湾の人々をよく知るようになると、彼等の日本への想いは単純なものではない、ということが次第にわかってくるのである。筆者は、これまでそうした複雑さをどのように記述すべきなのか、なかなか明確な方法を見出すことができず、歯がゆい思いをし続けてきた。


台湾の「親日」の理由を説明する際によく聞かれる言説は二つ存在する。ひとつは日本統治以前の台湾が朝鮮半島とは違い、統一された国家ではなく、清朝から「化外の地」として捨て置かれたために、日本に対抗する統一的な民族基盤が生れていなかったというものである。もうひとつは、日本からの独立後、台湾を統治した中国国民党への反発である。こうした言説には一見、説得力があるように思われる。しかしこのような状況におかれた社会は台湾だけなのだろうか。筆者には他の社会における状況について論じる力はないが、近代以前において強い民族基盤が確立されていた地域が存在していたか否かについては疑問を感じざるをえない。また、中国国民党に関していえば、確かに筆者のインタビュー経験からも非常に強い口調で批判をする人もいるが、それもまた強い論拠とならないのではないかと感じている。筆者が日本語世代へのインタビューを試みた際に、ある人物は中国国民党については「実にけしからん」という言葉を繰り返し、一方日本に対しては「他国を植民地支配することは、決して褒められたことではない」という言葉を繰り返した。この二つの言葉の間には隔たりがあるともいえるが、共に否定の表現である。さらに「確かに日本は文化も環境も違う土地を統治するというのは大変だったかもしれないが、それでもあんなに無理なことをすることはなかったのではないか」と語り、植民地統治というものが被統治者にとっていかに過酷なものであったのかを主張する。また、「日本が好きである」「日本文化が好きである」と語る人物からも、日本統治時代にいかに台湾人が不平等に扱われ、台湾の人々がいかに日本人に対して不平不満を抱いていたのかについて強く主張をされることは多々あり、それをもってしても「台湾の人々は親日的である」、ましてや「日本統治時代に関して肯定的である」などという断定は不可能なはずである。


このように複雑な局面をもつ植民地経験を、我々日本人は一体どのように捉えたらよいのだろうか。
人類学の分野では、世界各地の旧植民地における植民地経験に関して、近年いくつかの新しい研究成果が出されるようになってきている。植民地状況に置かれた人々の営為を、服従した、あるいは抵抗したという単純な二項対立的な構図では捉えきれない多様なものであるとし、人々はそんなに単純に支配されたのでもなければ、あからさまに抵抗したのでもなく、ときにはしたたかに自らに有利となる社会・文化資源として植民地支配を利用するということさえあったのではないか、とする分析が具体的な事例をもとになされている[例えば、山下・山本編 一九九七、栗本・井野瀬編 一九九九、山路・田中編 二〇〇二など]。


台湾に関しては、一九九〇年代後半になってようやく植民地状況を対象にした研究が本格的になされるようになってきた。紙幅の関係上それらの詳細を紹介することは避け、ここでは、本書と直接関係のある研究についてのみ紹介する。本書の出発点になったのは、二〇〇三年六月の日本台湾学会第五回学術大会の分科会「抵抗でも協力でもなく:日本植民地統治期に対する歴史認識」と、これをさらに発展させた二〇〇四年三月の国際ワークショップ「台湾における日本認識」である。この二回の研究会では、植民地経験や戦後における日本についての認識を中心的テーマとし、台湾の人々の多様な営為や日本統治に対する対応をどのように分析すべきかについて、文化人類学者を中心にして、フィールドデータや文献資料を基に討論を行った。ワークショップでは、更に台湾からも文化人類学者を招聘し、台湾人自身の視点からの分析を披露していただき、日本人の研究者との認識の相違や共通点などを明らかにした。その後二〇〇五年三月五日、六日には、本書の基になった国際ワークショップ「戦後台湾における『日本』:植民地経験の連続・変貌・利用」が開かれた。本ワークショップ及びその成果書である本書は、歴史学者の発表を増やして、歴史認識という視点をより強調して「日本」について分析した。また、韓国朝鮮や、太平洋地域など、台湾以外で日本に統治された経験を持つ地域を研究対象としている研究者によるコメントを受けて、議論をより発展させた(ワークショップのプログラム、発表者、コメンテーターについては、巻末を参照されたい)。本書の構成は、基本的にこのプログラムに従ったものになっている。



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編者・執筆者紹介
五十嵐真子(いがらし まさこ)
南山大学大学院文学研究科文化人類学専攻博士後期過程満期退学。博士(人間文化学)。
現在、神戸学院大学人文学部人間行動学科助教授。
著書に『アジア移民のエスニシティと宗教』(共著、風響社、2001)など。

三尾裕子(みおゆうこ)
東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。博士(学術)。
現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。
編著書に『民俗文化の再生と創造:東アジア沿海地域の人類学的研究』(風響社、2004)、論文に「以殖民統治下的「灰色地帯」做為異質化之談論的可能性:以《民俗台湾》為例」『台湾文献』55巻3期(2004)など。

蔡錦堂(さい きんどう)
筑波大学大学院歴史人類学研究科博士課程修了。文学博士。
台湾・私立淡江大学歴史学系副教授を経て、現在、国立台湾師範大学台湾史研究所副教授。
著書に『日本帝国主義下台湾の宗教政策』(同成社、1994)など。

宮崎聖子(みやざき せいこ)
お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科修了(人文科学博士)。
論文に「植民地台湾の処女会をめぐるジェンダー・植民地主義・民族主義」原ひろ子監修『ジェンダー研究が拓く地平』(文化書房博文社、2005)、訳書に楊南郡著・笠原政治、宮岡真央子、宮崎聖子編訳『幻の人類学者 森丑之助』(風響社、2005)など。

堀江俊一(ほりえ しゅんいち)
東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。
現在、中京女子大学人文学部助教授。
論文に「出稼ぎと移民:東南アジアの華僑・華人とエスニシティー」合田、大塚(編)『民族誌の現在』(弘文堂、1995、)「台湾漢族の父親像」黒柳、他(編)『父親と家族:父性を問う』(早稲田大学出版部、1997)など。

植野弘子(うえの ひろこ)
明治大学大学院博士後期課程満期退学。博士(学術)。
茨城大学教授を経て、現在、東洋大学社会学部教授。
著書に『台湾漢民族の姻戚』(風響社、2000)など。

西村一之(にしむら かずゆき)
筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。
博士(文学)。現在、日本女子大学専任助手。論文に「台湾東部漁民社会における漁撈技術移転:カジキ突棒漁をめぐる日本人漁民の働き」『史境』48(歴史人類学会、2004)など。

上水流久彦(かみづる ひさひこ)
広島大学大学院博士課程後期修了。博士(学術)。
現在、県立広島大学助手。
著書に『台湾漢民族のネットワーク構築の原理:台湾の都市人類学的研究』(渓水社、2004)など。

何義麟(か ぎりん)
東京大学大学院総合文化研究科修了。博士(学術)。
現在、台北教育大学社会科教育学系助理教授。
著書に『二・二八事件:「台湾人」形成のエスノポリティクス』(東京大学出版会、2003)など。

松金公正(まつかね きみまさ)
筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。
現在、宇都宮大学国際学部助教授。
論文に「植民地期台湾における曹洞宗の教育事業とその限界:宗立学校移転と普通教育化の示すもの」台湾研究部会編『台湾の近代と日本』(中京大学社会科学研究所、2003)など。

角南聡一郎(すなみ そういちろう)
奈良大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
現在、(財)元興寺文化財研究所人文考古学研究室主任研究員。
論文に「養蚕火鉢・蚊遣り・燻甕」『民具マンスリー』36-4(神奈川大学日本常民文化研究所、2003)など。

水口拓寿(みなくち たくじゅ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。
現在、日本学術振興会特別研究員(首都大学東京)。
論文に、「人格としての祖先、機械としての墓:福建上杭『李氏族譜』に見る風水地理観念」『中国哲学研究』18号(2003)、「風水は「超道徳的な技術」なのか?:中国宋代~清代の風水理論における「地理」と「天理」の交渉」『白山人類学』9号(2006)など。

北波道子(きたば みちこ)
関西大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。
現在、法政大学非常勤講師。
著書に『後発工業国の経済発展と電力事業:台湾電力の発展と工業化』(晃洋書房、2003)、論文に「植民地における電源開発と電力需要」堀和生・中村哲編著『日本資本主義と朝鮮・台湾』(京都大学学術出版会、2004)、「公営事業改革:旧体制の破壊から新しい公共性の創造へ」佐藤幸人・竹内孝之編著『陳水扁再選:台湾総統選挙と第二期陳政権の課題』(アジア経済研究所、2004)など。

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