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台湾外省人の現在

変容する国家とそのアイデンティティ

台湾外省人の現在

旧支配層であり、「独立」に反対する「統一派」と見なされている外省人の実像を様々な手法でえぐり出したフランス人政治学者の好著。

著者 ステファン・コルキュフ
上水流 久彦
西村 一之
ジャンル 社会・経済・環境・政治
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2008/03/18
ISBN 9784894891074
判型・ページ数 4-6・264ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

日本語版への序文(ステファン・コルキュフ)
序 『風和日暖 外省人与国家認同的変容』によせて(王甫昌)

はじめに

 《コラム解説1》四大族群──多元性の基

第一章 外省人の歴史と政治的背景

 一 外省人という名称の起源と展開
 二 敏感で未解明のテーマ
 三 分析理論の解釈と本書の主要な問題

 《コラム解説2》台湾語──「国語」と母語

第二章 国家という座標軸と外省人の位置

 一 本土化の範囲
 二 本土化の政治的利害関係
 
 《コラム解説3》『認識台湾』──アイデンティティの創造と本土化教育

第三章 アンケート調査とその回答

 一 アンケート調査票について
 二 族群アイデンティティと国家アイデンティティ
 三 国家アイデンティティの変化と両岸統一
 四 政治改革、挫折、反撃、そして甘受

 《コラム解説4》両岸関係──なぜ「中台関係」といわないのか?

第四章 外省人のアイデンティティの旅

  1 危機にさらされた外省人の「台湾志向」
  2 歴史に適応する外省人
  3 適応の理由
  4 結論

附録

 訳注(湊照宏)

 解説(何義麟)

   はじめに
 一 高格孚の論点と問題点
 二 外省人団体の変遷過程
 三 眷村文学にみる外省人の心境
   おわりに

訳者あとがき

台湾略年表
索引

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内容説明

戦後大陸から台湾に移住した人々は、旧支配層であり、「独立」に反対する「統一派」と見なされている。本書は、知られざる彼らの実像を様々な手法でえぐり出したフランス人政治学者の好著。解説(何義麟)・コラム・訳注を付す。


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日本語版への序文


国家はどこにあるのか、また国家のアイデンティティとは何か、何であるべきなのか、という問題は、一九九〇年代初頭以来、台湾で最も論争され続けてきた二つの政治的課題である。それは、台湾の地位や歴史、民族といった政治的話題に対する議論のなかにも見出される。


周知のように台湾という島は、一九一二年に南京において建国され、現在、台湾のみを実効支配するようになった中華民国によって統治されている。この統治の是非については、一九四九年に北京で建国された中華人民共和国と、台湾の急進的な独立運動の双方によって、歴史、国際的地位、帰属意識という三つの基本的な問題を通して今なお議論されている。

(中略)

エスニシティと国家が必然的に疑問視された。台湾という国家の存在を主張することは可能だろうか。もし可能だとすれば、その年代をいつまで遡ることができるだろうか。もし可能ではないとすれば、それを作ることは正当なのだろうか。またどうやって作るのだろうか。国家建設の問題の中核は、国家または国民、あるいは両方を作り出す過程において台湾の外省人たちをどのように組み込むか、であった。彼らの同意を抜きにして、平和的に国家建設が実現することはないということははっきりしていた。


一九九〇年代末までに、台湾はすでにアイデンティティ形成を観察できる実験室となっていた。新しい台湾人アイデンティティが模索され創られ始めただけではなく、中国人ではないと言うための新しい方法が、人種と統治とを分け、エスニシティと市民性とを分けることを通じて考えられた。議論の成熟は、その急激な政治化と対応していた。国家と社会の台湾化を進める人々の動きは、必然的に「脱中国化」政策としてその他の人々から批判された。その動きを危惧する、これまで中国として国家を建設してきた者たちは、台湾化とは単に、体制下での理想化された中国文化への適応が推進された数十年にわたる同化政策に対する反応だということを忘れている。理想化された中国文化は、台湾のローカル文化とはほとんど無縁であり、中国各地から来た亡命者たちにとってもまたほぼ無縁なものであった。


国家の領土を決定することは簡単ではない。李登輝と、彼の後任者で以前は対立していた民進党の陳水扁(在任:二〇〇〇─二〇〇八)は、双方とも中華民国の総統である。台湾という国を二人が公然と認めたにもかかわらず、彼らは、台湾の「憲法の膠着状態」に束縛されていた。「国境線」の引き直しはなされておらず、国境は現在でも公式には中華民国のままであり、それは憲法上中国本土を含んでいる。国境線の変更は、中華民国の台湾への縮小化を公式化することを意味し、台湾と中国の統一支持派にとっては、政治的制約の中で変更されるにしてもいわゆる「台湾の独立」と同じことを意味する。非公式には、海域でも空域でも、軍事、行政、安全保障、そして経済上の境界線は、台湾が苦境におかれるたびに、個々に引かれてきた。そして、中国とされる部分も、非公式に示されてきたのである。中華民国によって行政管理された人口のうち、その六〇%を管轄する台湾省政府の機能は「一時中断」させられた。中国本土沖合の金門島と馬祖島の問題は、依然として複雑な課題だった。独立支持派には中国沿岸部に「食い込んだ」金門島と馬祖島は、防衛するにはあまりに負担が重く、台湾という国家にはそれらの島を含まないと考える者もいた。一般的には、台湾海峡における澎湖諸島などの島々と太平洋の小島は、台湾という国の出生にもともと付属していたものと見られている。島としての台湾は、「自然の境界」を持っているように見える。そのため、海峡の両側での両義性や解釈の違いは四〇〇年間問題にならなかった。しかし、島々は再び歴史家に取り上げられ、この地理的隔たりそれ自体が明らかに「島国」の政治的境界を具体化しているということが議論されている。


もしどんな国家も神話か建国の物語を必要とするなら、「二・二八事件」は、台湾にとってまさにそれに当たる歴史的事件だった。一九四七年の大虐殺は、土着の台湾人と中国本土に本拠地をおいた国民党との深い心理的隔絶を生み出し、実質的に台湾の政治状況に劇的な変化を引き起こした。それは、以前の植民者であった日本がやったことと比べてもひどい虐殺だったために、日本時代を懐かしむ人さえ出てきて、中国から来た国民党政権は台湾人からもう一つの植民者として見なされるようになった。しかしこの植民者は、民族的には外国の政体ではなかった。それは中国であり、一六二四年(中国人の絶え間ない移住が始まった)から一八九五年(中国が台湾を日本に割譲した)にかけて、もっとも台湾の文化とエスニシティに影響を与えてきた国であった。そして、一九四五年には台湾人はその国との再統合を喜び、その国は五〇年間離れていた「母国」であった。「二・二八事件」はまさに、建国の大虐殺であり、台湾の独立運動の出生証明であった。それは、「台湾の独立」を掲げる反「蒋介石派閥」として、海外ですぐに成長しはじめた。もちろん、フォルモサ台湾を支配していない中華人民共和国からの独立ではなく、中華民国からの独立であった。


「二・二八事件」は五〇年間、もっとも扱いにくい問題だった。国家アイデンティティが問題化される重要な動き(外省人と台湾人との単なる和解か、国家建設運動の始まりかという問いかけ)があり、この問題のタブー視は終わった。一九九五年に李登輝は、中華民国総統の立場で台湾の人々に対し初めて政府による公式の謝罪をし、二月二八日を新しい記念日と定めた。一九四九年の分離以前に本国中国で起こった出来事以外を記念するのは、中華民国の歴史上初めてのことであり、台湾人にとっては初の経験だった。市民社会のなかでは「二・二八事件」の記念日は、民主化が始まった当初から特別視され、大事にされてきた。二・二八平和記念日は、台湾国民の最初の記念日となったのである。


一方、台湾という国について語ることは、この問題に対する一致した見解がないために、国家の成立は不可能であるという議論にすぐに行き当たってしまう。しばしば外省人たちは、これらの動きを彼らに向けられたものと解釈した。また、台湾独立の一方的な宣言も、陳水扁総統が憲法を変更するのに十分な議会での多数票を獲得することができなかったため、政治的に実行困難なものだった。そして、地政学的制約がある。中国は、もしそのような変更がなされるなら、台湾を攻撃すると主張している。結果として台湾島の中華民国が、別の形の国家に置き換わることはなかった。その代わりに、二つの国家が一九九〇年代をかけて絡み合い始めた。つまり中華民国という中国人の国家のフェイドアウトと台湾人の国家の台頭である。こうして中華民国という公式名と憲法はそのままで、台湾人の国家という色彩が強まっていった。これは、憲法上の膠着状態が台湾のナショナリズムを抑制しているということを意味している。つまり、中華民国から台湾(共和国)への国名の合憲的変更は、政治的、地理的要因のために難しく、そうすることは、外省人と中国軍の脅威に対立する立場をとることでもある。結果として、議会には国家建設運動を支持する多数派がいるものの、独立には躊躇する台湾社会が形成された。


台湾の集合的記憶は、一九四五年から一九五〇年にかけての中国からの移民の最後の波を境に大きく分裂している。集合的記憶の分裂の原因は、エスニシティ構築における政治的な深層心理にその起源を見いだせる。国民党は、一九四九年に、共産党に対して心に傷を負った約一〇〇万人の民間人と軍人の亡命者を伴って海峡を渡った。これらの外省人のほとんどは、長い間、台湾特有のアイデンティティを否定し、台湾の「再中国化」という公式の政策を拠り所としていた。政府と外省人は双方とも、日本人に洗脳された「同胞の中国人」を信用しなかった。その一方で従来から台湾にいた住民は、彼らを、中国本土で今にも敗北しそうな独裁政権を支持する侵略者と見なすようになった。たしかに中華民国は緊急事態を表明し、厳しく市民の自由を制限した。それに対する台湾住民の憤りは、一九四七年「二・二八事件」の大虐殺の二年後に、国民党が台湾に移転した時にはすでに激しいものとなっていた。エスニシティや集合的記憶、アイデンティティ、「二・二八事件」を議論することはタブーとなり、両者の偏見は深まるばかりだった。

(以下略) 
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著者・訳者・執筆者紹介
〈著者紹介〉
ステファン・コルキュフ(Stephane CORCUFF)
1971年生まれ。2000年、パリ政治学院で本書のもとになったUne identification nationale plurielle. Les Waishengren et la transition identitaire a` Taiwan, 1988-1997でPh.Dを取得(the`se de doctorat en science politique)。現在、リヨン政治学院准教授。人文科学高等師範学校東アジア研究所研究員、フランス台湾学会会長。研究領域:台湾のアイデンティティ・ポリティックス、台湾海峡問題等。
著書・論文に、Memories of the Future. National Identity Issues and the Search for a New Taiwan (ed.) M.E. Sharpe Publishers, Armonk (N.Y.), avril 2002, The Supporters of Unification and the Taiwanization Movement. Psychology and Politics in the Blue Camp’s 2004 Presidential Election Campaign, in Harrison, Mark, and Storm, Carsten, eds., The Margins of Becoming. Identity and Culture in Taiwan, Harrassowitz, Wiesbaden, 2006 等多数。

上水流久彦(かみづる ひさひこ)
1968年、鹿児島県生まれ。広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了。博士(学術)。現在、県立広島大学助教。
著書・論文に『台湾漢民族のネットワーク構築の原理:台湾の都市人類学的研究』(渓水社、2005年)、「自画像形成の道具としての『日本語』: 台湾社会の「日本」を如何に考えるか」『戦後台湾における〈日本〉: 植民地経験の連続・変貌・利用』(風響社、2006年)など。

西村一之(にしむら かずゆき)
1970年、北海道生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学、博士(文学)。現在、日本女子大学助教。
著書・論文に「台湾東部における漁撈技術と『日本』:近海カジキ突棒漁の盛衰のなかで」『アジア・アフリカ言語文化研究』(第71号、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2006年)、「台湾先住民アミの出稼ぎにみる日本語:遠洋漁業を例として」『戦後台湾における〈日本〉:植民地経験の連続・変貌・利用』(風響社、2006年)など。

何義麟(か ぎりん)
1962年、台湾花蓮生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修了、博士(学術)。現在、台北教育大学台湾文化研究所副教授。
主な著書に『二・二八事件:「台湾人」形成のエスノポリティクス』(東京大学出版会、2003年)、『跨越國境線:近代台湾去殖民化之歴程』(稲郷出版会、2006年)など。

松金公正(まつかね きみまさ)
1967年、福岡県生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得退学、修士(文学)。現在、国立大学法人宇都宮大学国際学部准教授。
最近の主な著書論文として「真宗大谷派による台湾布教の変遷:植民地統治開始直後から台北別院の成立までの時期を中心に」『アジア・アフリカ言語文化研究』(第71号、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2006年)、「真宗大谷派台北別院の『戦後』:台湾における日本仏教へのイメージ形成に関する一考察」『戦後台湾における〈日本〉」』(風響社、2006年)など。

湊 照宏(みなと てるひろ)
1974年、広島県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、修士(経済学)。現在、日本学術振興会特別研究員(東京大学社会科学研究所)。
著書・論文に「日中戦争期における台湾拓殖会社の金融構造」『日本台湾学会報』(第7号、2005年、第4回日本台湾学会賞)、「台湾における戦後復興と電力市場の再編」
田島俊雄編著『現代中国の電力産業』(昭和堂、2008年)など。

安達信裕(あだち のぶひろ)
1976年、島根県生まれ。現在、広島大学学院社会科学研究科在学中。
主要論文に「植民地初期台湾における同化教育について:国語教育を中心に」『アジア社会文化研究』4(2002年)、「植民地期台湾の台湾人教師に関する研究:教育現場での台湾の独自性の模索を中心に」(2007年度日台支援事業報告書)など。

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