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モンゴルとイスラーム的中国

民族形成をたどる歴史人類学紀行

モンゴルとイスラーム的中国

イスラーム系10民族が住む中国西北部。その「イスラーム的中国」をモンゴルの視点から見、現在の民族構図を作った歴史をたどる。

著者 楊 海英
ジャンル 人類学
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2007/05/25
ISBN 9784894891166
判型・ページ数 4-6・412ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

第一章 モンゴルの視点から見たイスラーム研究
 一 個人の政治的な経歴
 二 民族間関係とモンゴル内部の多様性

第二章 モンゴルにとっての「西北ムスリム大反乱」
 一 誰のための歴史か
 二 民族政策を織り出すための歴史研究
 三 モンゴル語年代記の表象
 四 記憶と記録の回民反乱
 五 モンゴルと回族、その異なる歴史観
 六 中華と、世界の遊牧民との乖離

第三章 モンゴル人ムスリムの今昔
 一 生き方が語るモンゴル人ムスリムの歴史
 二 モンゴル人ムスリムの由来
 三 ホトン人の現状
 四 ホトン人のイスラーム
 五 イスラームと「民族」の間

第四章 寧夏、イスラームの大海原に残るモンゴルの歴史
 一 ムスリム世界で元朝の遺跡を訪ねる
 二 赤い星と西北の弦月
 三 乾燥大地に根付いた神秘主義
 四 漢人が創出する負のイメージ
 五 遊牧と塩の道の現在

第五章 青海、民族形成の道を行く
 一 青海のモンゴル
 二 核の汚染地域に暮らすモンゴル族ムスリム
 三 サラール人の神秘主義教団
 四 チベット人ムスリム
 五 保安族の元の故郷
 六 民族が創られる諸要素
 七 民族形成の道

第六章 保安族のスーフィズム
 一 イスラームの黄土高原
 二 保安族の新天地
 三 語りつがれる保安族の歴史
 四 保安族社会内のスーフィー教団

第七章 東郷族社会のイスラーム
 一 東郷人の大地
 二 東郷族の胡門門宦
 三 東郷族社会内の他のスーフィー教団
 四 東郷人社会からスタートした新教イフワーン
 五 旅の終幕
 六 少数民族対策とマイノリティ同士の視線

第八章 モンゴル系ムスリムたちの脈動
 一 「科学」とアイデンティティに揺れる
 二 ネイティブ人類学者と少数民族研究

あとがき
索引

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内容説明

開発に揺れる中国西北部は、イスラーム系10民族が全て住む地域でもある。その「イスラーム的中国」をモンゴルの視点で見た時、どのような時空が現れるのだろうか。現在の民族構図を作った歴史を現地でたどる、ユニークな民族興亡史。


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まえがき


本書は、現代中国の内モンゴル自治区西部(オルドス市、アラシャン盟)、寧夏回族自治区、甘肅省、それに青海省における三年間にわたるフィールドワークの成果をまとめたものである。中国ではこれらの地域を「中国西北部」と呼ぶ。これらの地域の面積は約一五五万平方キロメートルで、そこには四〇〇〇万人近い諸民族が住んでいる。現代中国のイスラームを信仰する一〇の民族も、すべてこの地域に住んでおり、ムスリムたちはまちがいなく西北中国の主人公となっている。そのため、私はこのような「中国西北地域」を「イスラーム的中国」と呼びたい。「イスラーム的中国」は、モンゴルを抜きにしては語れない。


私は本書において、モンゴルからの視点に立脚している。


モンゴル高原の最南端のオルドス高原から寧夏、甘肅、それに青海など「イスラーム的中国」を眺める、という視点である。モンゴルがどのように中国、特に「イスラーム的中国」とかかわってきたのか、その一端を示しておきたい。モンゴルはずっとこれらの地域と歴史的に深くかかわってきたのである。実地調査の一部は北京から甘肅に飛んだり、青海経由だったりするが、それはあくまでも交通の利便を考えた上での行動で、私がモンゴル高原からの視点で「イスラーム的中国」を観察してきたことに変わりはない。


清朝の崩壊に伴って成立したモンゴル高原のモンゴル国(旧モンゴル人民共和国)は、きわめて閉鎖的な国家だった。本来ならば、モンゴルの人は「イスラーム的中国」について一番情報を持っていたはずである。歴史的にはこの地にモンゴル語系の言葉を話す仲間たちが居住してきたし、チベット高原に入って聖地巡礼を行う時も、この地を通過していたのである。にもかかわらず、モンゴル人は現在、この地域にほとんど関心を示さなくなった。


中国内モンゴル自治区のモンゴル人たちが、何故、誰によって中国の国民とされてしまったのか。自分たちの故郷がいかにして中華人民共和国の国土とされたか。このような深刻な問題も実はすべて「イスラーム的中国」の住民たち、特にムスリムたちと関係していることを忘れてはならない。


日本人は中国西北部の一部分を河西回廊、内蒙古西部沙漠地域、シルクロード青海の道、などと表現する。この地域の一部をとらえる意味では、どちらも正しい。


明朝が築いた万里の長城。その西端は嘉峪関である。嘉峪関以西を歴世の漢人たちは塞外や西域、草地や荒漠などと表現し、さほど深い関心を示してこなかった。時おり、雄略を抱く皇帝が現れれば、長城以北に兵を派遣して経営にあたることもあったが、それもたいていは短命に終わることが多かった。これは、漢人から見た中国西北部の歴史であろう。


一方、われわれ遊牧民側からすれば、いわゆる塞外は良質な草原地帯である。この地の東北に位置する賀蘭山と南西に立つ祁連山、阿爾金山には森林が分布し、広大な河谷は夏を過ごすのに最適の地である。賀蘭山と祁連山、阿爾金山の間に続く果てしない平地草原は春と秋、それに越冬放牧に向いている。これらの地からやや南へすすめば、農耕・都市民と交易できる場所もたくさんある。生活するには実に便利なところだった。


この地はまた、漠北のモンゴル高原で覇者の争いに失敗した者を積極的に受け入れてきた。そのため、匈奴からはじまり、月氏、突厥、土峪渾、それにモンゴルなど、さまざまな「落ち武者」たちがここへやってきて小さな遊牧政権を建てて、漠北の本土と中華世界の両方と交渉し、渡り歩いた。その結果、多くの民族集団が形成された。ここはまた、漠北だけでなく、時には中央ユーラシアからの集団をも受け入れていた。人びとは多種多様な宗教を持ち込み、シャーマニズムやチベット仏教、それにイスラームなどが開花した。


満洲人の清朝は、非常に効率よく、これらの地を統治してきた。いわゆる朝貢システムには「西北の弦月」と称されるイスラーム地域もみごとに組み込まれた。しかし、満洲人の支配体制は大分、合理的だったが、末端における「イスラームと漢」との齟齬は帝国を体内から蝕み、弱体化に追い込んだ。漢人は支配者の満洲人に対する不満や怒りを、時々ムスリムたちに向けて発散した。「イスラーム対漢」という対立軸は何も清朝に原因があるのではなく、そもそも、それは大元王朝が残した遺産でもあった。元朝時代、ムスリムたちは漢人の上に立つ支配者層の一員だったからである。


西欧列強の進入に伴い、漠北やチベット高原に住む満洲人の同盟者のモンゴル人やチベット人たちは独立を宣言したが、対立軸の両端を担っていた「イスラームと漢」が、代わりに台頭してきた。「イスラームと漢」は、時には対立し、時には同盟を組んで、往昔の満洲人の盟友たちを抑え、中華民国に留めた。「イスラームと漢」がモンゴル人やチベット人を抑えた結果、自立を逸してしまった諸集団は、中華人民共和国の一員として、与えられた最小限の自治に満足せねばならなくなったのである。


建国後まもなくして人びとが共産主義中華人民共和国の残酷な真実を知ってから、諸集団は相次いで力で意思表示をした。一九五〇年代に長く続いた武装蜂起である。中国では「反乱」と表現し、もっとも有名なのが一九五八年の「チベット反乱」であろう。蜂起は容赦なく鎮圧された。そして、再教育を受けるべくして、一〇年間に及ぶ「文化大革命」を人びとは体験しなければならなかった。現地の住民たちが苦難や辛酸を嘗め尽くしていた時、彼等の故郷には核実験場やミサイル基地が作られた。国威発揚は犠牲を強いられたマイノリティの代償の上に成り立っている。これこそ、社会主義国民国家の歩んだ歴史である。


世界は今、大国主導のグローバリゼーション(全球化)と「反テロ」に巻き込まれている。マイノリティにとっては、少なくとも現時点ではどちらも決してプラスにはなっていない。グローバリゼーションは、豊かになる夢をちらつかしながらも、彼らの地から産出する資源を吸い上げている。「反テロ」は、多少の自己主張をすべてテロと拡大解釈する危険性を伴っている。われわれ少数民族にとっては、とかく、住みにくい世になっている。


中国西北部のどんな僻地(もし、それらしきが存在するならば)に行っても、必ず、日本のNGOやNPO団体の活動が見られるようになった。日本にとっても、決して遠い世界ではなくなってきている。かの地の人間が何を信仰し、互いにどんな関係で結ばれ、そして相互をどのように認識しているかを考えるのに、本書が役立つことを願っている。

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著者紹介
楊海英(Yang Haiying)
1964年、中国内モンゴル自治区オルドス生まれ。総合研究大学院大学修了、博士(文学)。専攻、歴史人類学。
現在、静岡大学人文学部教授。
主な著作として、『《金書》研究への序説』(国立民族学博物館, 1998年)、『草原と馬とモンゴル人』(日本放送出版協会、2001年)、『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』(風響社、2004)、『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』(平凡社、2005年)、『内モンゴル自治区フフホト市シレート・ジョー寺の古文書』(雲廣と共編、風響社、2006年)など。

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