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中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(一九四五~四九年)

民族主義運動と国家建設との相克

中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(一九四五~四九年)

内モンゴルの独立・自治志向と中国の統合圧力を軸として、内モンゴルの独立が阻まれた力学を詳解。

著者 ボルジギン フスレ
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 2011/02/20
ISBN 9784894891722
判型・ページ数 A5・360ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

序章

第1章 20世紀前半の内モンゴルの民族主義運動の軌跡と中国国民党・共産党の対内モンゴル政策
 1 内モンゴル人民革命党の登場
 2 内モンゴル人民革命党の活動の特質
 3 モンゴル会議と中国国民党の統合圧力
 4 「民族自決権」と「連邦制」論の変遷
 5 中国国民党の戦後の民族政策に関する構想
 小結

第2章 戦後の内モンゴル民族主義運動の高揚と中国共産党の対応
 1 戦後の内モンゴル民族主義運動の高揚─内モンゴル人民革命党の活動を中心に
 2 内モンゴル自治運動連合会の成立
 3 東モンゴル人民自治政府の成立
 4 東モンゴルにおける中国共産党勢力の浸透
 5 東モンゴル人民自治政府の解消
 6 東北民主合同会議をとおしてみた中国共産党の政策
 小結

第3章 中国国民党の対内モンゴル政策
 1 内外モンゴル統一運動に対する中国国民党の施策
 2 デムチグドンロブ王に対する国民党の対策
 3 政治協商会議から中国国民党6全2中会議へ
 4 内モンゴルの自立をめぐる論争
 5 内モンゴル自治政府の成立と中国国民党の敗北
 小結

第4章 内モンゴル自治運動における「ふたつの道の闘争」
 1 「ふたつの道の闘争」理論の提起
 2 東モンゴルにおける中国共産党の政策の実施とその挫折
 3 「ふたつの道の闘争」
 4 民族主義者の退陣
 小結

第5章 内モンゴルにおける中国共産党政権の確立と強化─東モンゴル地域における「土地改革」の展開を中心に
 1 内モンゴル共産党工作委員会の性格の再検討
 2 内モンゴル自治政府地域の「土地改革」
 3 ハルビン幹部会議の再検討
 4 内モンゴル人民革命青年同盟の運命
 5 連邦制の否定
 小結

結論

あとがき
参考文献一覧
年表
索引

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内容説明

内モンゴルの独立・自治志向と中国の統合圧力を軸として、革命と民族主義運動の軌跡を考察し、一九二〇年代から一九四九年までの中国共産党・国民党による対内モンゴル政策を分析。新資料を駆使し、内モンゴルの独立が阻まれた力学を詳解。


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はじめに

ユーラシア大陸にまたがるモンゴル帝国をつくったチンギス・ハーンを祖先とし、かつて共同の言語、宗教、生業形態をもっていたモンゴル民族は、現在、モンゴル国、中国、ロシア連邦の三つの国に分断されている。言うまでもなく、こうしたモンゴル地域の形成は、単に一国家の力によってなされたのではなく、北東アジアの国際情勢の変化やモンゴル人の民族主義運動と密接な関係をもっていた。


20世紀、ともに社会主義を経験したモンゴル民族は自民族を統一することができなかった。その一方、チベットなど中国の非漢民族地域では民族的緊張がつづき、次第に顕在化してきた。社会主義イデオロギーによる諸民族・地域の統合が、ソ連やユーゴでは失敗した現状のなか、同様の課題を有する中国は、今後、成功していくのかという問題は当然問われる。1947年5月1日に成立した内モンゴル自治政府は、2年後に成立した中華人民共和国の最初の自治区とされ、かつて中国各少数民族の歩むべき道としてモデル的な存在であった。実際、成立した当時の内モンゴル自治政府は、連邦制の枠内での自治、ひいては内モンゴルの独立、外モンゴルとの統一を構想していた(AmuGulang-un jokiyal, Sedorji-yin orciGulG-a, Obor MongGol Undusuten-u Cilugelegdeku Jam[『内モンゴル民族の解放の道』], Vang-un Sum-e, 1947)。その名称も、性格も、現在の内モンゴル自治区とはことなる。


「内モンゴル」という概念がもつ歴史的、政治的、地理的意味は、時代によってことなるが、現在の「内モンゴル」という政治的、行政的、地理的単位は、まさに20世紀前半の歴史のなかで形成されたのである。清朝時代の内モンゴルとは、ジリム盟、ジョーオダ盟、ジョソト盟、シリーンゴル盟、オラーンチャブ盟、イフジョー盟の6盟、24部、49旗をさしていた。1911年12月、外モンゴルが独立を宣言した後、フルンボイル、内モンゴル(DotuGadu MongGol)など、中国領内のおおくのモンゴル人が外モンゴルとの統一をはたすため戦った。1924年に組織された内モンゴル人民革命党は、フルンボイル、内モンゴル、青海モンゴルなど中国領内のモンゴル人の革命を指導すると自負し、その「党員証」にもかかれていたように、全モンゴルの統一をめざしていた。その理念は1945年8月以降、ハーフンガー、ボヤンマンダフらにより復活された内モンゴル人民革命党東モンゴル中央委員会の綱領に引きつがれた。


本書が用いる「内モンゴル」は、東はフルンボイルをふくみ、大ヒャンガン(興安)嶺山脈、南は万里の長城、西はアラシャー地域、北はモンゴル国との境を境界とする地域、すなわち1947年5月に内モンゴル自治政府が成立した際、宣言のなかで主張された内モンゴルの「12盟78旗」(資料17、18を参照)をさす。


本書では、内モンゴル人民族主義者がおこなった運動に対する現在の中国のイデオロギー的見方や、「清朝の継承国家」イコール「中国」とみる傾向の強い日本の一部の中国研究者の研究に対する批判から出発し、「国家」という単位ではなく、モンゴル人の居住する「地域」に焦点をあて、「内モンゴル」という地域の形成の政治社会史を中心に研究をおこない、現在の内モンゴル地域の新たなパラダイムを提示する。


モンゴルからの視線と北東アジアという国際環境からの視線を共有することによって、多民族国家における民族統合と自治・自決の相反するベクトルを統一的に理解し、あらたな地域形成史の可能性やオルタナティブを模索することは、大きな意義がある。


モンゴル国、日本、ロシア、中国の諸機関に所蔵される一次資料を用い、社会主義革命政権成立のプロセスにおける、モンゴル民族主義者の模索と曲折のダイナミズムの分析をこころみた本書は、内モンゴル人民族主義運動をマクロな枠組みで把握する確かな根拠を獲得できるのみならず、中国領におかれた他の「少数民族」の民族自治・民族自決運動の研究にも適用しうると信ずる。この意味で、本書は、20世紀前半に起こった大きな政治的事件であるロシア革命と中国革命に端を発する社会主義国家建設という実験を、民族主義運動と社会主義イデオロギーの錯綜した関係の中において整理・分析するためのひとつのケース・スタディにもなるはずだ。


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著者略歴
ボルジギン・フスレ(Borjigin Husel)
1966年、中国・内モンゴル自治区出身、1989年北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修士。2006年同大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。
内モンゴル大学芸術学院講師、東京大学・日本学術振興会外国人特別研究員をへて、現在、昭和女子大学非常勤講師。
主な著作に、『北東アジアの新しい秩序を探る─国際シンポジウム「アーカイブズ・歴史・文学・メディアからみたグローバル化のなかの世界秩序─北東アジア社会を中心に」論文集』(共編、風響社、2009年)、『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年:2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(共編、風響社、2010年)他。

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