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ブラジル日本移民百年史 第3巻

生活と文化 1

ブラジル日本移民百年史 第3巻

文学史・メディア史・教育史・女性史・食文化史など、従来の移民史では十分扱われてこなかった社会史的主題に迫る。

著者 ブラジル日本移民百周年記念協会日本語版ブラジル日本移民百年史編纂・刊行委員会
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ ブラジル日本移民百年史
出版年月日 2010/12/24
ISBN 9784894895010
判型・ページ数 A5・640ページ
定価 本体8,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

刊行によせて

序章:本書の目的と構成

 凡例

第1章 日系ブラジル文学史概要  細川周平

 はじめに:印刷メディア、結社、アマチュア文学
 第1節 1908年~1924年:未組織の時代
 第2節 1925年~1941年:植民文学の時代
 第3節 1941年~45年:日本語禁止の時代
 第4節 1946年~1953年:文学復興の時代
 第5節 1954年~1977年:戦後移民の時代前期
 第6節 1978年~今日:戦後移民の時代後期
 まとめ

第2章 日系メディア史  深沢正雪

 第1節 戦前戦中編
  1 新聞創刊の背景(黎明期1908~1925年)
  2 戦前の邦字紙全盛期(1926~1936年)
  3 同胞社会とナショナリズムの対立(1937~1945年)

 第2節 戦後編
  1 勝ち負け抗争から創刊へ(1946~1951年)
  2 3紙鼎立の全盛期からポ語メディアの勃興へ(1952~1980年)

 第3節 ポルトガル語メディアの台頭
  1 伯国マスコミで活躍する日系ジャーナリスト
  2 生き残りを賭けたポ語新聞
  3 日系ラジオTV放送

 第4節 グローバリゼーションの時代(1980年以降)
  1 1980年代という分水嶺を超えて
  2 グローバル化の中の1990年代
  3 デカセギブームと日本へ移動するコミュニティ
  4 日本移民百周年(2008年)前後の動き

第3章 ブラジルにおける子弟教育(日本語教育)の歴史  森脇礼之・古杉征己・森幸一

 はじめに

 第1節 戦前期における子弟教育の変遷
  1 コーヒー耕地=コロノ時代(1908年から1920年代前半まで)
  2 植民地=自営農時代(1920年代後半から41年頃)

 第2節 戦前および戦中の日本語教育を巡る状況
  1 1942年から1945年までのコチア小学校の状況
  2 日本語教育制限・禁止令下での日本語による「日本人」育成を目的とする試み

 第3節 戦後期における子弟教育
  1 日本語教育の再開期(1950年代前半から60年代)
  2 〈コロニア語〉による日本語教育:〈コロニア語〉日本語教科書運動(60年代~70年代)
  3 1960年代における日本語教育の実態:1963年日本語普及会による日本語教育の実情調査結果に基づいて
  4 継承語教育から〈外国語〉としての日本語教育へ(1970年代)
  5 〈外国語〉としての日本語教育(1980年代~現在):二つの方向に分岐する日本語教育

 おわりに

第4章 ブラジル日本移民の女性史  中田みちよ・高山儀子

 はじめに

 第1節 戦前の日本移民女性の歩み
  1 初期移民時代の女性(1908~1924年)
  2 国策移民時代の女性(1925~1941年)
  3 戦前のサンパウロ市の女性

 第2節 戦中・戦後の日本移民女性の歩み
  1 戦時中の女性(1939~1945年)
  2 日本の敗戦と戦後の混乱(1946~1955年)
  3 戦後の女性
  4 日系社会の成熟

 おわりに

第5章 ブラジル日本移民・日系人の食生活と日系食文化の歴史  森 幸一

 はじめに

 第1節 コーヒー耕地=コロノ時代の食生活
  1 ブラジルでの初めての食事・カフェー
  2 アグーリャ米(Arroz Agulha)を中心とした食事体系の確立
  3 パンとコーヒー中心とする食事体系の受容:パン焼きの習得
  4 調理道具・食器・食べ方のブラジル化

 第2節 植民地=自営農時代の食生活
  1 植民地における食生活
  2 植民地における日本型食事体系充実の諸条件
  3 サンパウロ州内陸部〈駅町〉における外食産業の成立

 第3節 サンパウロ市における食生活
  1 戦前期の日本人街と食生活
  2 サンパウロ市に成立した日本食品・食材製造加工業
  3 戦後のサンパウロ市における食生活

 第4節 サンパウロ市の日本料理外食産業の成立と展開
  1 戦前期におけるサンパウロ市の日本料理外食産業
  2 戦後期におけるサンパウロ市の日本料理外食業

 第5節 日本料理受容の社会的文化的背景
  1 戦後期における中間層の台頭と生活スタイルの変化
  2 健康への懸念・ライト志向の出現
  3 米国からの健康食ブームと健康食としての「日本料理」イメージの到来
  4 生魚のイメージの転換
  5 日本人・日系人・非日系ブラジル人の社会関係の緊密化
  6 日本料理職人たちの努力・工夫
  7 量・新しいサービス法・味付け
  8 寿司のローカル化(ブラジル風寿司の創造)
  9 寿司という食事体系の特徴:柔軟性と可動性など
  10 オープンシステムとしての食事文化同士の接触

おわりに

付録

 年表
 索引
 写真・図表一覧

あとがき

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内容説明

日系の文学史・メディア史・教育史・女性史・食文化史など、従来の移民史では十分扱われてこなかった社会史的主題に迫る。移民史や現代史から最新の方法論を移入し、日系移民の歴史に新たな頁を開く。待望のシリーズ第一回。

 

★なお、第二回以降は、現地ブラジル側の予算・スケジュールの都合により、現地での印刷・発行となりました。大変ご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。現地より刊行情報などが入り次第、当ホームページにてご案内申し上げます。★


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序章より


本書の目的と構成


本書はブラジル日本移民百周年記念協会/日本語版ブラジル移民百年史編纂・刊行委員会(以下編纂・委員会)が『ブラジル日本移民百年史』(全5巻+別巻)の第三巻目として出版する『ブラジル日本移民百年史─生活と文化編(1)』である。


編纂・委員会ではブラジル日本移民百周年を記念し、一世紀にわたる日本移民の体験や経験を後世に残す目的をもって本編纂・刊行事業を立案し実施しているが、今回の移民史編纂・事業が従来の70年史や80年史と異なっている点は次の諸点である。


従来の移民史は「概史」と呼べる概説史的記述で1巻構成で編纂、刊行されてきたが、本事業では全5巻(別巻を含めると6巻構成)をとり、より多様な側面から日本人や日系人のブラジルにおける営為──体験や経験、葛藤や相克等──を丹念に拾い出し記述する目的を有している点。


従来の移民史は社会的側面、あるいは年表史的記述を目指しており、実際に「生活者」としての移民やその子弟たちがどのような心情でいかなる生活を営んできたのか、その具体像は必ずしも明らかにはされてこなかった。本事業では可能な限り、移民としての生活を具体的に記述することを目的としている点。特に、この側面の記述を重要視した視座は『生活と文化編』だけで2巻を準備していることからも看取されるであろう。


本事業では、可能な限り移民関連史・資料やデータを収集し、それを整理、再解釈し、単に70年史や80年史の記述にその後の事象を付加するのではなく、新たな視点から新たな移民史の姿を記述しようとした点。


従来の移民史とは異なり、『ブラジル日本移民史』を日本の出版社から出版することで、ブラジル在住の日本人やその子弟たちだけではなく、広く日本の読者に対しても、同じ日本人が移民し、日本という国家の外側で生きてきた近代化プロセスやそこで実質的にゼロから構築された「生活」の様子を少しでも自らと対照させることによって、日本という国、日本人などに関して再考してもらいたいという意図を持っている点。


本編纂・委員会はポルトガル語版移民百年史編纂・委員会とともにより大きな『百年史』編纂委員会の一部を構成しているのだが、日本語版編纂・委員会はあくまでブラジルに移民した日本人一世という視点から百年の経験や体験が記述され、同じ事象であっても二世やブラジル人的視点から解釈し編まれる予定のポルトガル語版移民百年史とは異なる視点を持つ点。換言すれば、より大きな編纂・委員会では「複数の移民百年史」の刊行が予定されている点。


ところで、本編纂・刊行事業の実施に際しては様々な困難性に直面し、様々な限界をもって実施されてきた事実にも触れておかねばならない。その第一の困難性は編者や執筆者などを含めた人材の制約であった。この困難性にはいくつかの側面がある。まず、本事業では移民70年史や80年史までは自らの「移民」としての生活体験をベースにし、その体験を縦糸にしながら特定項目・領域・分野の執筆が可能であった、いわば「語り部」「生き証人」的な人材を確保することが困難であったことである。こうした人材は当地の日系社会にはほとんどおらず、いたとしても既に高齢に達している方も多く、体力的に本事業にかかわっていただける条件がなくなっていたのである。こうした背景から、本事業における編者や執筆者、調査員などの大半は70年代末から80年代にかけてブラジルに渡航した相対的に若い日本人たちであり、あるいは日本からの短期滞在者たちとならざるを得なかったのである。こうした人たちにとって、日本移民百年の歴史は「勉強」すべき事柄であった。人材という観点における限界は本事業にかかわった大半の人材は現役の職業人であり、自らの「本職」の傍らで、本事業に参加せざるを得ず、常に時間的な制約に頭を悩ませてきたのである。しかも、本事業に参加した人たちはすべて「歴史学」の素人たちであるということである。つまり、専門研究者としての視点からの移民史の解釈などは全く「素人」なのである。


第二の制約・限界は編纂・刊行までの時間であった。本来であれば、移民史の編纂・刊行は当地(サンパウロ市)に所在するブラジル日本移民史料館に専門の部署を創設し専任の調査員や職員を配し、長い時間をかけての史・資料の渉猟や整理、解釈などの作業を通じて実施されるべきものである。しかしながら、ブラジルの日系〈社会〉にはそうした認識が欠如(ないし不足)しており、事業開始から数年後に発行ということが義務付けられてきたという事実である。こうした背景から70年史にしろ、80年史にしろ「概説史」を刊行するということを強いられてきたともいえるのである。


第三の困難性・制約・限界はブラジルという国土の広大さと多様性に関連している。現在において、ほぼ広大のブラジル国土に拡散しそれぞれの地域的条件を背景として生活している日本人やその子弟たちの多様性を資料収集しながら丹念に拾い出し、記述することは時間的資金的人的制約もあり、百年史のなかで行うことは不可能なことであった。したがって、本書を含めた移民百年史においてはサンパウロ州(市)を中心にした記述とならざるを得なかったのである。


第四の困難性は日本の読者を想定したことによって出現したものである。ブラジルの日系社会内で日常的に使われている語彙(用語・地名など、移民による造語とポルトガル語からの借用語)は当地の日本人・日系人読者であればすぐに理解できるものであるが、日本在住の読者にとっては意味不明・了解不能という語彙・用語が多数存在するのである。例えば、「配耕」「脱耕」「出聖」「植民地」「移住地」などの造語や「メーザ」「エンシャーダ」などの借用語などが文章中に数多く出現する。これらに対して、語彙や用語のグロッサリーを予め準備しなければならなかった。
以上の諸点からみれば、本書は時間的な制約の下に、歴史家ではない「素人」が記述した移民百年史という性格は明らかであろう。しかしながら、各執筆者は限られた条件の中で、最大限の努力を尽くし担当箇所の記述に専心してきた点は評価していただければと考える。


さて、本書(及び他の巻)の編集方針に関して若干言及すれば、委員会は各執筆者に対して?ブラジルや日本の歴史的文脈と可能な限り関連させながら通時的な記述を行うこと、?それぞれの扱うトピックが日系〈社会〉において、どのような役割や機能を担ってきたのかに留意すること、?ブラジル社会や文明に対してどのような貢献をなしてきたのかに注目すること、?最低限の学術資料的使用(利用)を可能とするために、出典や参考文献などを明らかにすること、?それぞれの章が一つの完結した「物語」となるような構成において章立てを考え執筆すること、という編集方針にもならないような依頼を行った。したがって、歴史的な文脈は章ごとにかなり重複することになったがあえて調整は行わなかった。


本書は第4巻として刊行される予定である『ブラジル日本移民百年史―生活と文化編(2)』とセットとなるものである。ここで『生活と文化編』の全体構成を示すと次のようになる。


『生活と文化編(1)』
日系ブラジル文学史概要
日系メディア史
ブラジルにおける子弟教育(日本語教育)の歴史
ブラジル日本人移民の女性史
ブラジル日本移民・日系人の食生活と日系食文化の歴史


『生活と文化編(2)』
日系スポーツ史
日系宗教運動史
娯楽・趣味・行事史
日系芸術運動史
日系刊行文化史
日本・ブラジル交流史
補章 日本移民・日系人研究史の回顧


以上のように、生活と文化編ではこれまでの移民史の中で取り上げられてきても周辺的な位置づけの中で概観されてきたにすぎない12のトピックをあえて取り上げ、日本人・日系人の生活の営みが多様な側面から扱われることになる。
さて、『生活と文化編(1)』の構成や執筆者を簡単に紹介することにしよう。


本書第1章は日本移民を中心とする文学活動の歴史を概観する章である。ブラジル日本移民の文学活動は基本的に当地における邦字新聞などの日本語メディアの発刊とともに起こり、現在まで連綿と継続されている日本語による文学形象の営為を散文、短詩型文学、文学結社・雑誌、文学運動の主体などといった側面を通時的にとらえたものである。本章は日本在住の日系文化・社会研究者である細川周平(国際日本文化研究センター)に依頼した。細川は現在、膨大な資料に基づいた日系文学史(移民によって日本語で形象された文学)研究を準備しており、その一環として日系文学運動の概論を執筆していただいた。


第2章では1910年代半ばから開始された日本語による新聞、雑誌など、また日系ラジオ、TVなどのメディア活動の歴史が詳細に記述されており、その視野の中にはブラジルからの日本就労現象=デカセギに伴なって日本社会で出現したポルトガル語による日系エスニック・メディア、さらには印刷技術の革新などまでが含まれている。日本移民や日系人にとって自らのエスニック・メディアはどのような役割を果たしてきたのかが記述される予定である。従来、日本語新聞を中心とする日系メディア関連の資料は移民史の記述において有力な資料の一つとして用いられてきたのであるが、日系メディアそれ自体を対象に移民史を再構成する試みはそれほど多くはなく貴重な記述である。本章は1990年代にパウリスタ新聞記者として日系メディア領域にかかわり、現在はニッケイ新聞の編集長を務める深沢正雪が担当している。ここでは新聞・雑誌などの丹念な渉猟のほか、主に戦後日系メディア領域で活躍した日本人たちの証言も多く取り上げられており、いわば内なる視点から捉え直された移民史となっている。


第3章は子弟教育に関する章である。ブラジルは他国への移民とは異なり「家族」形態の渡航を基本としたために、初期の段階から随伴した子弟の教育問題──どのような人間として育成していくのか──が大きな課題であり懸念であった。この章では、ブラジルの日本移民の通時的な代表的生活世界──コーヒー耕地・植民地・都市──において展開された子弟教育を主に子弟に対する日本語教育という視点から記述される。子弟教育は移民にとって最大の懸念・課題であったが、それだけにブラジルや日本という国家の国家観や国民観などと鋭く交錯し、葛藤や相克が強く出現した領域でもあった。この意味で本章ではブラジル・日本双方の歴史的文脈との関連という視点を基本として記述されている。本章は戦後移民で移民後長年にわたって日本語教育に携わってきた森脇礼之、ニッケイ新聞の記者を経て、マッケンジー大学大学院(法学)を修了した古杉征己、そして編纂・刊行委員会の森幸一(サンパウロ大学)の共著である。この章では日系子弟教育以外の記述がかなり詳細に行われているが、これは本書を読む読者のため、ブラジルへの日本移民の歴史の背景を最低限記述する必要があるという編纂委員会の意向を受けて、あえて書いていただいたものである。


第4章は女性史である。本章では従来の移民史の中ではサバルタン(みずから語り得ない従属的な諸階級・民衆)として、語るすべを持たなかった女性たちの「生の声」を女性たちが語りはじめた自伝などを通じて通時的に拾い集め、女性たちの声を通じて移民史を再構成することが試みられている。これまでの移民史において、比較的まとまった記述があるのは70年史だけであり、丹念に収集された「女性たちの声」は男性中心的に描かれてきた従来の移民史を少なくとも相対化することになるだろう。本章ではこうした女性たちの証言が社会学的歴史学的な文脈の中で語られているのが特徴のひとつである。本章は二人の女性移民の合作である。執筆者は子ども時代に戦後移民の家族の一員としてブラジルに移住し長年日本語教育に従事してきた中田みちよと80年代初頭大学卒業直後に「花嫁移民」としてブラジルに渡航し主婦として、そして夫が興した事業のパートナーとして生きてきた高山儀子である。この章では女性の視点からの移民史=大きな物語が再構成されている。


第5章は日本人や日系人の食生活、日系食文化の歴史が扱われている。ブラジルに渡った移民たちにとって、食という問題は子弟教育とともにその生存にかかわる重要な部分であった。日本人移民たちはどのような食生活を営んできたのであろうか? また、日本人移民が移植した日本食文化がブラジルという異質な世界の中で、どのような改変を経てきたのか、そして80年代からの日本食ブームはどのような背景から出現してきたのであろうか。換言すれば、日本移民の食生活上の適応、食文化の適応、「日本食」のブラジルにおける受容の問題が通時的に記述されることになる。本章の担当者は森幸一(サンパウロ大学教授)である。


以上のように、本書では文学活動、日本語メディア、子弟教育、女性そして食生活・文化がトピックとして取り上げられる。既に記述したように、それぞれの章が独立した「大きな物語」となっているのであるが、本書の限界の中で指摘したようにサンパウロ州・市中心的な記述にならざるを得なかったことをご了承いただきたい。


2010年12月吉日
日本語版ブラジル日本移民百年史編纂・刊行委員会
委員長 森 幸一


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執筆者紹介
細川周平(ほそかわ・しゅうへい)
1955年大阪生まれ。東京芸術大学大学院音楽研究科博士課程修了。国際日本文化研究センター教授。著書は『サンバの国に演歌は流れる』(中公新書、1995)、『シネマ屋、ブラジルを行く─日系移民の郷愁とアイデンティティ』(新潮社、1999)他多数、2009年『遠きにありてつくるもの』で読売文学賞を受賞。

深沢正雪(ふかさわ・まさゆき)
1965年静岡県沼津市生まれ。92年からパ紙で研修記者し、1995年にいったん帰国。1999年に潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレルワールド』(潮出版社、1999年)。2001年にニッケイ新聞入社。2004年から編集長。

古杉征己(ふるすぎ・まさき)
1974年生まれ。広島県出身。北海道大学法学部卒業。2000年に渡伯。ニッケイ新聞記者を経て、サンパウロ人文科学研究所研修生。2010年より同理事。2009年にマッケンジー大学大学院専門コース(労働法)修了。

森 幸一(もり・こういち)
1955年栃木県生まれ。明治大学大学院終了後、サンパウロ大学、カンピーナス州立大学大学院に留学、ブラジル政府奨学生となる。文学博士(東北大学)。専門は文化人類学、沖縄研究。サンパウロ人文科学研究所所長を経て、現在、サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部教授、サンパウロ大学日本文化研究所所長。主要著書として、『ブラジル日系・沖縄系移民社会における言語接触』(ひつじ書房、2009年)、『沖縄民俗辞典』(吉川弘文堂、2008年)、 De Sol a Sol; O Japao que nasceu no Brasil (Ed. Terceiro Nome.2008年)、 『世界の食文化 中南米編』(農山漁村協会、2007 年)、『ブラジル日本移民百年の軌跡』(明石書店、2010年)(以上いずれも共著)などがある。

森脇礼之(もりわき・れいし)
1934年9月7日。島根県出身。1962年6月22日渡伯。日本語教師として、1962年6月、日伯寺日本語学校。1980年12月、アニャンゲーラ日本語学校。1986年1月、達磨塾創設、現在に至る。

高山儀子(たかやま・のりこ)
青森県出身。東京女子大学社会学科卒業。1981年渡伯。料理エッセイスト。

中田みちよ(なかた・みちよ)
青森県生まれ。1955年家族移民で渡伯。『日伯文化連盟』日本語教師。『ブラジル日系文学』誌編集長。2005年第八回内田百?文学賞随筆部門大賞受賞。

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