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24 中国・ミャンマー国境地域の仏教実践 24

徳宏タイ族の上座仏教と地域社会

ミクロな地域から見える仏教のダイナミズム。国境をまたいで生きてきた人びとの、民族や宗教の動態を地域社会の文脈から読み解く。

著者 小島 敬裕
ジャンル 人類学
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》
出版年月日 2011/12/25
ISBN 9784894897519
判型・ページ数 A5・68ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
一 「境域」空間をなす徳宏
 1 芒市と瑞麗
 2 徳宏タイ族
 3 徳宏の地域史
 4 調査村T​L村
二 徳宏の上座仏教の特徴
 1 上座仏教徒社会の先行研究と課題
 2 少数にとどまる徳宏の出家者
 3 なり手の要因
 4 村人たちの要因
 5 実践の場
 6 実践の担い手
三 ホールーによる誦経実践の変容と継続
 1 ホールーの役割
 2 越境するホールー
 3 実践の変容
 4 継承される実践
四 実践の多様性
 1 出家者との関わり方の相違
 2 戒律実践の多様性
 3 ミャンマー政府の宗教政策と地域の実践
 4 実践の多様性を生む要因
おわりに

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内容説明

 

ミクロな地域から見える仏教のダイナミズム。国境をまたいで生きてきた人びとにとって国民国家の枠組みは一つの範疇に過ぎない。民族や宗教の動態を地域社会の文脈から読み解く。

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はじめに
本書の舞台である雲南省徳宏傣族景頗族自治州(以下、「徳宏州」)は、西南中国のミャンマー国境に面したところに位置する。「国境」の雰囲気をつかむために、徳宏州の瑞麗市にある一軒の家の庭で撮影した写真1をご覧いただきたい。国境を示す柱を挟み、撮影者が立っている側は中国領、向こう側はミャンマー領というように、一軒が二つの国家に分割されている。現地に居住する徳宏タイ族の人々は、この国境を跨いで自由に往来する。
徳宏タイ族は、ミャンマーでシャンと呼ばれる民族と同系統で、その大部分が上座仏教徒である。上座仏教は、東南アジアの大陸部諸国(タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア)および隣接する中国雲南省(徳宏、西双版納)で信奉されている(図1)。筆者が上座仏教に関心を持ったのは、ミャンマーで生活していた二〇〇一年にマンダレー市内の寺院で、二〇〇三年にはシャン州ティーボー(シャン語ではシーポー)郡内の寺院で、合計二度の一時出家を経験したためである。この一時出家というのはミャンマーでは珍しいことではなく、人生儀礼のように多くの男子が出家経験を持っている。そのためほとんどの寺院に出家者が止住し、出家者数は数十名から数百名にのぼることが多い。出家者は毎朝、托鉢に出かけ、在家者はそれに応じて食物を布施する。こうした風景が日常生活の中に溶け込んでいる。またミャンマーでは現在、仏教は国家によって庇護されており、軍事政権の幹部が高僧に布施をしたり、仏塔建立のために寄進する姿が、連日のように報道されている。
ミャンマーから国境を越えた中国側の瑞麗にも、上座仏教寺院はある。シャン州で出家生活を送った筆者には見慣れた形の、高床式で、トタン屋根の寺院が多い。僧侶が止住する寺院には、ビルマ文字で記載されたミャンマー政府主催の教理試験合格証や、ミャンマーの故ターマニャー師、現在タイ北部に止住するシャンのブンチュム師ら名僧の写真、さらにヤンゴンのシュエダゴン・パゴダなど有名な仏塔の写真を掲げてある。寺院に記された寄進者の名前も、ほとんどがシャン文字またはビルマ文字で記されている。調査の開始当初、徳宏タイ語の話せなかった筆者は、赤茶色またはサフラン色の袈裟を着用した僧侶にビルマ語で話しかけてみた。すると大部分の僧侶がビルマ語を話せるが、中国語を話せる僧侶はほとんどいない。徳宏の寺院で僧侶たちと話していると、中国領内にありながらミャンマーにいるかのような錯覚にも陥る。
その一方で、ミャンマー側との際だった相違点もある。ミャンマー側と同様、寺院はほぼ各村落に存在するものの、ほとんどの寺院に僧侶が止住せず、施錠したままである。これは、筆者が出家したマンダレーの寺院では四〇名以上、シーポーの寺院では約一〇名の出家者が止住していたのと比較すると顕著な相違である。
では、なぜ徳宏の寺院には出家者がきわめて少なく、出家者が止住しない「無住寺」が多いのだろうか。すぐに想起されるのは、大躍進運動(一九五八~六〇年)、文化大革命(一九六六年~七六年)期における宗教の破壊の影響である。中国は社会主義を国家統治の基本原理としており、上座仏教のみならず、宗教そのものを積極的に擁護するようなスタンスをとってこなかった。それでも一九四九年に中華人民共和国が成立した当初は、一九五四年制定の憲法においても国民の宗教信仰の自由を保障していた。ところがその後の大躍進運動(以下、「大躍進」と表記)、文化大革命(以下、「文革」と表記)期には、社会主義路線が急進化するとともに、多くの宗教関係者が迫害され、宗教施設が破壊されたことが知られている。宗教政策が回復し、仏教復興が図られたのは、文革終了後の七八年以降のことである。
大躍進・文革の経験が、徳宏の宗教に大きな影響をもたらしたことは間違いない。しかし、同じ雲南省の西双版納のタイ族寺院を訪れて驚くのは、ほとんどの寺院に出家者が止住していることである。西双版納も徳宏と同様、大躍進・文革を経験した。にもかかわらず、なぜこのような相違が生まれるのか。出家者が少数にとどまる状況において、徳宏の上座仏教はどのように実践されているのだろうか。これが本書で解明すべき第一の課題である。
また本書の特徴は、複数の国家や民族とかかわるようなフィールドの実践に注目していることである。徳宏の仏教は、ミャンマー、中国、タイ国の仏教と関わると同時に、同じミャンマー国内でもビルマ、シャンという二つの民族の仏教から影響を受けている。こうした仏教のダイナミズムをもたらす大きな要因として挙げられるのは、人の移動である。近年、トランスボーダー研究は盛んになりつつあるが、国境を越えて人が動くこと自体は決して目新しい現象ではなく、調査村および周辺地域の人々は近代国家の成立以前から頻繁に移動し往来してきた。人の移動の中で、実践は培われるのである。しかし上座仏教徒社会に関する従来の先行研究は、一つの国民国家に位置づけられる地域で仏教実践をとらえようとしてきた。これに対し本書では、「越境」する人々がもたらす実践の動態を解明する。それゆえ、徳宏の仏教実践について研究を進めることは、徳宏という「地域」そのものが構築される過程について理解を深めることにもつながる。
徳宏は一九九〇年代まで実証的な調査研究から外国人を閉ざしてきた。同じ雲南省でも、西双版納では徳宏に先んじて調査が可能となり、隣接するタイ国からの上座仏教徒の支援と友好関係もあって、その仏教の復興と制度の実態を明らかにする研究が蓄積され始めた。これに対し、徳宏の仏教研究はいくつかの例外を除いて手つかずのままであった。筆者が徳宏を調査地として選んだ動機の一つは、この空白を埋めることにあった。そして徳宏と西双版納、そしてミャンマーとの地域間比較研究を行うことも視野に入れていた。
そこで筆者は、二〇〇六年一〇月から二〇〇七年一一月までの約一年間、徳宏州瑞麗市郊外のTL村の農家に住み込んでフィールドワークを実施した。また本調査の前後の期間には予備調査と補足調査を行った。瑞麗市内での長期定着調査を行ったのは本研究が初となる。瑞麗市に居住するタイ族は、徳宏タイ語をおもに使用するものの、ほとんどの村人たちは漢語、僧侶たちはビルマ語でも会話が可能で、日常的に複数の言語が使用される状況におかれている。そのため聴き取りは徳宏タイ語を主とし、必要に応じて漢語、ビルマ語を使用した。
本書の構成は、以下のとおりである。まず第一節では、徳宏という地域と、そこに居住する徳宏タイ族の特徴、そして調査村の概略について述べる。第二節では、徳宏における上座仏教の特徴について考察する。特に出家者が少数にとどまる状況での仏教実践について、筆者が定着調査を行った徳宏州瑞麗市TL村の仏教儀礼の場と担い手に注目して述べる。第三節では、徳宏の仏教実践において重要な役割を果たす在家の誦経専門家ホールー(ho lu)による誦経実践の変容と継続に注目し、徳宏の在家信徒にとっての「仏教」のあり方に迫るとともに、その知識の継承パターンを明らかにする。第四節では、TL村の事例を瑞麗市内の他村と比較するとともに、ミャンマー側の実践との比較を行う。またその異同の要因について、両国家の政治権力との関わりから考察する。おわりに、本書がとりあげる徳宏の事例が、上座仏教徒社会研究にもつ意義と、今後の展望を示す。
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著者紹介
小島敬裕(こじま たかひろ)
1969年、神奈川県出身。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。
現在、京都大学地域研究統合情報センター研究員。京都精華大学、滋賀大学非常勤講師。
主な論文、著書に、「第7章 西南中国におけるパーリ仏教」(奈良康明・下田正弘編『スリランカ・東南アジア:静と動の仏教』新アジア仏教史4、2011年、佼成出版社、352-381頁)、「中国雲南省徳宏州における上座仏教:戒律の解釈と実践をめぐって」(『パーリ学仏教文化学』23号、2009年、21-39頁)、「現代ミャンマーにおける仏教の制度化と〈境域〉の実践」(林行夫編『〈境域〉の実践宗教:大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』2009年、京都大学学術出版会、67-130頁)などがある。

 

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