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2 ジェンネの街角で人びとの語りを聞く

マリの古都の過去と現在

13世紀初頭、コイ・コンボロ王の改宗以来、ムスリムの町としての歴史を刻み、今や多民族が共生するジェンネの暮らしを読み解く。

著者 伊東 未来
ジャンル 人類学
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2011/12/25
ISBN 9784894897540
判型・ページ数 A5・56ページ
定価 本体700円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
一 ジェンネとは
 1 ジェンネの概要
 2 ジェンネへ
二 過去のジェンネへ
 1 ジェンネ・ジェノ
 2 ジェンネの興り
 3 ジェンネのイスラームことはじめ
 4 ソンガイ帝国とモロッコの「名残」
 5 ジェンネの大モスク三代記
 6 「チュバブ」の支配
三 ジェンネの街角
 1 飛び交う多言語
 2 路地に広がる人びとのネットワーク
 3 目に見えぬもの
 4 過渡期のジェンネ
おわりに

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内容説明

 

人びとの肉声からアフリカの佇まいが見える。一三世紀初頭、コイ・コンボロ王の改宗以来、ムスリムの町としての長い歴史を刻み、今や多民族が共生するジェンネの暮らしを読み解く。

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はじめに

 

一、貧困や災害によって国を追われた人びとを受け入れる。

二、異国の者がより多く住まうようにする。

三、不誠実な商いをする者は罰せられる。

 [Es-Sa’di 1981(1900) : 24]

 

ジェンネの第二六代の王コイ・コンボロは、イスラームに改宗したさい、このような三カ条を宣言したと言われている。ジェンネは西アフリカ内陸部、現在のマリ共和国の都市である。コイ・コンボロがイスラームに改宗したのは一三世紀初頭。いまから八〇〇年ほど前のことだったと言われている。難民、移民、外国人の積極的受け入れ、「国際都市」の形成、不正な商業活動の禁止。いま現在わたしたちが住まう日本のとある町の指針として発表されても、違和感はない。

「アフリカ」と聞いて、異なる民族間の紛争、それを原因のひとつとした貧困問題のニュースを思い浮かべる人も、少なからずいるだろう。ためしに、インターネット上の日本最大級のポータルサイトで検索してみよう。アフリカ関連のニュースをまとめて掲載したページのいちばん上には、アフリカが一文でこう紹介されている。「アフリカ──内戦など情勢不安定な国が多く、飢餓や貧困、エイズなどの問題を抱えている」。現在のアフリカで、蔓延する病や内戦に苦しんでいる人が数多くいることは事実である。しかし、わたしたちがニュースで見聞きする「アフリカ」は、アフリカが歩んできた長い歴史の、大陸全体およそ一〇億の人びとの日々の暮らしの、ごくごく一部にすぎない。およそ八〇〇年前に宣誓されたコイ・コンボロの三カ条もまた、アフリカの「事実」なのである。

わたしは、二〇〇七年から二〇一〇年はじめにかけて計二年、ジェンネに暮らして人類学の現地調査をおこなった。研究のおもなテーマは、多民族が生きる都市ジェンネで、人びとがどのようにそれぞれの民族性を再生産したり、生業の住みわけをおこなったり、民族内・多民族間の紐帯を形成してきたのか/いるのか、である。本書では、そうした調査のなかでわたしが見聞きしたことと、町の歴史や日々の生活について町の人が聞かせてくれた語りを紹介していく。ジェンネのことばで、おしゃべりや語りのことを「ワンダス」という。きょうの天気についての友人との会話も、ジェンネの数百年の歴史を語ることも、同じことば「ワンダス」であらわされる。ジェンネの人びとのさまざまなワンダスを通じて、「アフリカ賛歌」でも「アフリカの惨状を訴える」のでもない、過去をもち現在を生きる同時代のアフリカの一都市のありようを示すことができればと考えている。

 

一 ジェンネとは

 

1 ジェンネの概要

ジェンネの歴史や人びとの生活については、これからくわしく述べていく。ここではまず、ジェンネの簡単なプロフィールを示しておきたい。

ジェンネの町は、西アフリカのマリ中部に位置している。面積は一平方キロメートル弱、人口はおよそ一万四〇〇〇人(二〇〇九年推定)。端から端までのんびり歩いても三〇分とかからない、小さな町である。この限られた土地に、生業や言語を異にするソンガイ、フルベ、ソルコ(ボゾ)、バマナン、マルカ、ソニンケ、モシ、ブワ、トゥアレグといった複数の民族が、ひしめきあうように暮らしている。ジェンネの人の密集のさまは、町の風景からも一目瞭然だ。ひとつの家を引き抜くとすべての家が倒れてしまうのではないかと心配になるほど、泥づくりの家々が背中合わせ・おなか合わせに建っている。

町はアフリカ第三の大河・ニジェール河の最大の支流のひとつであるバニ川の、さらに支流に四方を囲まれている。その姿はさながら「陸の島」である。ニジェール河上流、熱帯雨林地帯のギニア山地に降る大量の雨は、高低差のすくない中流でじわじわとあふれだす。その氾濫原は、マリの中部で湿潤な三角州となる。ニジェール河内陸三角州とよばれるこの三角州は、氾濫のピーク時には日本の九州ほどの面積にまで広がる。そのため、ジェンネをふくむ内陸三角州一帯は、サヘル地帯にありながらも、牧畜のみならず農業や漁業にも適し、さまざまな生業をいとなむ民族をひきつけてきた[Gallai 1967, 1984]。

ニジェール河のめぐみは、ジェンネに交易都市としての役割ももたらした。ジェンネは一五─一六世紀ごろをピークに、サハラ砂漠の北と南をむすぶトランス・サハラ交易の中継地として栄えた。ラクダのキャラバンによってサハラ砂漠を運ばれてきた交易の品々は、ガオやトンブクトゥなどの北部の町で舟に積み込まれ、ニジェール河とその支流およそ五〇〇キロメートルを航行し、ジェンネに運ばれた。北からの岩塩や絹織物が、南からの金や綿花が、ジェンネを経て、ときにはジェンネで加工され、このルートを行き来したのである。

また、ふるくから交易をつうじてサハラ北部のムスリム商人と接触があり、その一部がジェンネに居住していたことから、ジェンネは一帯の重要なイスラーム学術都市のひとつとしても発展した。いまでもジェンネの住民は、他所からやってきた数家族をのぞいて、ほぼ一〇〇パーセントがムスリムである。町には五八校のコーラン学校があり(二〇〇七年現在)、ジェンネの子どもたちの大半が通っている。また、近隣諸国からイスラーム学問を学ぶべくジェンネに留学中の者もいる。……

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著者紹介

伊東未来(いとう みく)
1980年、福岡県生まれ。
大阪大学大学院博士前期課程修了。
現在、大阪大学大学院博士後期課程在籍。日本学術振興会特別研究員(DC2)。
主な論文に「社会に呼応する同時代のアフリカン・アート─マリ共和国のアーティスト集団カソバネを事例に─」(『アフリカ研究』第75号、2009年12月、17-28頁)、「イスラーム「聖者」概念再考への一考察─マリ共和国ジェンネのalfaを事例に」(『年報人間科学』第30号、2008年3月、83-100頁)などがある。

 

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